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白龍神社(名駅南)

名駅の異空間に白龍さんが棲んでいる

白龍神社

読み方 はくりゅう-じんじゃ(めいえきみなみ)
所在地 名古屋市中村区名駅南1丁目8-14 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 無格社・八等級
祭神 須佐之男命(すさのおのみこと)
高龗神(たかおかみのかみ)
アクセス 鉄道各社「名古屋駅」から徒歩約20分
駐車場 なし
webサイト 公式webサイト 052-571-5859
その他 例祭 10月17日・授与所・ご祈祷各種
オススメ度 **

 龍神を祀る奥宮がある一角に渦巻いている空気がエグいことになっている。神気というのか、霊気というのか、妖気というのか、発しているエネルギーがとんでもない。
 名古屋駅から歩いて20分のところにある神社とはとても思えない。大げさに言うと、ここは異空間だ。ただごとではない。
 訪れたのは平日の昼過ぎだったにもかかわらず、参拝者が絶えない。年配のおばあちゃんから勤め人、商売人、おばさまグループなど、その顔ぶれは多様だ。なんだ、この人気は、と驚いた。
 この日初めて訪れるまで、この神社の存在を私は知らなかった。
 帰ってきて知ったのだけど、商売繁盛の御利益がある神社として、知る人ぞ知る神社なのだとか。

 神社の西を南北に走っている江川線は、かつて江川という川が流れていた流路に当たる。
 江川は稲生村(いなぶむら)で庄内川と分かれて真っ直ぐ南流し、名古屋城の西を通って熱田前新田で中川に注いでいた。
 神社の少し北、江川線と広小路通の交差点の柳橋は、江川に架かかっていた橋の名前だ。江川沿いに柳の木が並んでいたことから名付けられたという。
 この白龍神社は、その柳橋近くにあった柳の木の根元に土地神を祀る祠を建てたことに始まるとされる。

 現在の地名の名駅南になる前、ここは内屋敷町だった。古くは国廣井郷と呼ばれ、江戸時代は廣井村に属していた。
 廣井は泥江(ひぢえ)が転じたものというのが『尾張国地名考』津田正生の説だ。泥江縣神社もここから近い。
 社伝によると、江戸時代初期の1603年、柳橋一帯で熱病が流行り、それを鎮めるために江川のほとりにあった柳の根元に祠を建てて大神を祀ったのが始まりという。
 その頃はまだ龍神という共通認識ではなかったようだ。
 やがて、柳が枯れると、祠をイチョウの木に移すことになった。イチョウの木は御神木とされ、もう一柱の神を祀ることとなり、二柱をあわせて白龍神とされるようになっていったという。
『寛文村々覚書』(1670年)や『尾張志』(1844年)など、江戸時代の書にはこの神社は載っていないから神社という規模のものではなかっただろう。

『愛知縣神社名鑑』にはこうある。
「創建は明かではない。神社の明治維新の際の改革により明治6年一時廃社となったが郷民の崇敬の念あつく、明治11年7月復旧公許となる。往昔より境内の神木と共に、白龍さまと尊び親しまれ、近郷は勿論広く各地より商売繁盛を祈願する人々多く、昭和37年9月、津島神社を白龍神社と改称する」
 明治の神仏分離令の後、明治6年にいったんは廃社となったものを、町民たちの希望で明治11年に復活させたということだ。
 明治時代の白龍神社がどの程度の規模だったのかは分からない。昭和37年に津島神社を白龍神社と改称したというから、明治以降は津島神社と称していただろうか。

 今昔マップで明治以降のこのあたりの変遷を確認してみる。
 廣井村とはいっても名古屋城下に組み込まれていたので、江戸時代から多くの家が建ち並ぶ地区だった。
 大正時代に江川沿いの西を市電が走るようになり、更に賑やかになっていった。
 昭和6年には江川は暗きょ化され、その上は道路になった。
 第二次大戦の空襲で御神木のイチョウの木は無事だったものの、このあたりも多くが焼けた。1947年の地図では空白地が目立つ。
 戦後の昭和24年、都市計画で江川線や広小路通が拡張されることになり、白龍神社は元の場所から80メートルほど南の現在地に移された。
 その際、御神木のイチョウを切り倒そうとした工事人が怪我をしたり関係者が病気になったりしたため、イチョウは残されることになった。
 その後、昭和34年にイチョウは境内に移植され、今も元気にしている。
 なお、『中村区の歴史』は、柳橋近くにあったのを現在地に移したのは昭和33年(1958年)と書いている。

 スサノオとタカオカミの二柱の神を祀る本殿もいいのだけど、やはりこの神社の本体は奥宮の白龍神だろう。ビンビンに強い気を発しつつも威圧的ではない。分かりやすく言うとオーラを発しているというようなことだ。確実に何かいるだろうここ、と思う。
 それを心地よいと感じるか怖いと感じるかは人によるかもしれない。
 奥宮では白龍王初春姫大神を祀り、中社では白徳明王大神と白遍智徳大神を祀っている。
 白龍王初春姫大神は木曾御嶽山の三の池に祀られている神とのことで、御嶽信仰も関わっているようだ。
 白龍は白蛇にも通じるということで、生卵が供えられている。
 龍神=蛇神=商売繁盛という図式がいつ頃成立したのかはよく分からない。昔、脱皮した蛇の皮を財布に入れておくと金持ちになるという話があったけど、蛇とお金は相性がいいということだろうか。
 商売繁盛の神といえばお稲荷さんだけでなく龍神もそうだというのは、商売人の間では常識的なことなのか。
 名古屋には戦前、多くの白龍社があったそうだ。現在は、境内社で祀られていることは多くても、独立した白龍神社はそれほど多くない。パッと思いつくところでは、名東区の牧野が池緑地の中にある羽白美衣龍神社や北区安井の白竜社あたりだ。
 名駅の白龍神社から少し南へ行ったところの中区栄にある洲崎神社の中にも白龍神社があって、この白龍神社と関係があるらしい。
 龍神さんは意外と私たちの身近にいて、人知れず我々を守ってくれているのかもしれない。
 名古屋駅もしくは伏見駅から歩いて15分か20分くらいの距離なので、市外の方も名古屋を訪れた際にはちょっと寄ってみてほしい。他ではなかなか体感できない感覚があると思う。

 

作成日 2017.6.2(最終更新日 2019.4.25)

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

駅前の白龍神社を名古屋の隠れ名所として推薦したい

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