神明社(明徳町)

番割の神明社の歴史を思う

明徳町神明社

読み方 しんめい-しゃ(めいとく-ちょう)
所在地 名古屋市中川区明徳町一丁目39番 地図
創建年 不明
社格等 村社・十五等級
祭神

天照大御神(あまてらすおおみかみ)

 アクセス

・あおなみ線「中島駅」から徒歩約17分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 干拓で新田開発した土地に建てられた神明社のひとつ。
『愛知縣神社名鑑』によると、昭和34年(1959年)の伊勢湾台風の後、昭和35年に小碓四丁目から現在地に遷座したとのことだ。
 小碓四丁目というと、港区の小碓公園(地図)があるあたりだろうか。現在地から見て西1.8キロほどの場所だ。
 しかし、何故、ここだったのだろう。昭和35年というと、すでに港区も中川区もできている(昭和38年に守山区と緑区が、昭和50年に名東区と天白区が誕生)。区を超えてこの場所に移した理由は何だったのか。明徳町が頼んだということだろうか。

 明徳町が成立したのが明治22年(1889年)。
 当知新田(とうちしんでん)、土古山新田(どんこやましんでん)、熱田古堤亥新田(あつたこづつみいしんでん)、熱田新田(あつたしんでん)が合併して誕生した。
 その後、明治39年(1906年)に小碓村に名前が変わっている。これはヤマトタケルの幼名、小碓命(おうすのみこと)から取られたものだ。熱田にゆかりの深い土地ということでそういう名前にしたのだろう。
 明徳町神明社の隣には十八番・十九番札所の観音堂がある。ここは熱田新田三十三番割の十八番か十九番に当たるということだろうか。
 ただ、『尾張志』を見ると、熱田新田の項に「神明社 天照大御神國常立尊を祭る十八番の氏神なり」とある。
 ということは、小碓四丁目というのは、港区の小碓四丁目ではなく、現在地の近くということかもしれない。小碓村は明治40年(1907年)に名古屋市に編入されて小碓町になっているし、神社の東には小碓通という町名もある。元の場所はもう少し南で、北に移したということか。

 創建についての詳しいいきさつについては伝わっていない。創建年は他の番割の神社と同じように1700年代か、もしかすると1800年代前半かもしれない。
 番割の住民同士の連帯感や対抗心といったものはどんなものだっただろう。先祖代々この土地に土着していた村人ではないことがいい方に作用したのかそうではなかったのか。現在でいえばニュータウンに引っ越してきた一家といったところだろうけど、江戸時代は連帯責任とかもあっただろうし、藩の管理も厳しかったから協力しなければやっていけなかったという面はあっただろう。
 この土地にやってきた二代目、三代目ともなると、村にも愛着が持てただろうか。番割にある神社は産土神として一生つき合っていくことになる。その時代から現在までの時間の積み重ねや変遷や人々の思いを考えると、どの神社も軽々しく扱うことはできないと思うのだ。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

小碓4丁目ってどこだったんだろう明徳町神明社

HOME 中川区

スポンサーリンク
Scroll Up