油江天神社

古社とおぼしき油の天神さん

油江天神社

読み方 あぶらえ-てんじん-しゃ
所在地 名古屋市中村区中村町2-10 地図
創建年 不明
社格等  村社・十一等級
祭神

少彦名命(すくなひこなのみこと)

アクセス

・地下鉄東山線「中村日赤駅」から徒歩約5分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 由緒ありげで特徴的な神社なのに、伝わっていることが少なすぎる残念なお宮さん。残念というより惜しい。もったいない。

『愛知縣神社名鑑』はこう書いている。
「『国内神名帳』に従三位油江天神とあり、『参考本国神名帳集説』には一楊荘上中村に鎮座ましますと記す。 上古は国司長官の着任に際し自ら申告し、常に国司は朔幣を奉る神社である。医道の祖神で万病に効く御神徳あり特に歯痛に霊験高く、人々油を供えて祈願する」

『国内神名帳』は平安時代末に成立したとされる尾張国の神社一覧で、『本国神名帳集説』は江戸時代中期(序文1707年/1734年出版)に天野信景が出した尾張国の神社研究の書のことだ。
 まず前提として、現・油江天神社は『国内神名帳』に従三位油江天神とある神社のこととしておきたい。
 上古(じょうこ)というのは、古代から飛鳥時代くらいのことを指す(狭義では645年の大化の改新まで)。
 その時代に「国司長官の着任に際し自ら申告し、常に国司は朔幣を奉る神社」だったというのは確かなのだろうか。平安末の『国内神名帳』には載っているけど平安中期の『延喜式』の神名帳(927年成立)には載っていない。国司が参拝するような神社を『延喜式』に載せないだろうか。

 『尾張名所図会』では、
「油江天神社 同村の東二町ばかりにあり。『本国帳』に従三位油江天神とある是なり。今土人油天神といふ」とあっさり紹介するにとどまる。
『尾張志』はもう少し詳しい。
「油江天神社 上中村にまして今は油の天神と称す 本国帳に愛智郡従一位油江天神(元亀本正四位とし明応本従三位上とし貞治本従一位とし一古本に従三位とす)とある是也 油江はここの地名なれとも今は廃れて此社号にのみ残れり」
『国内神名帳』にはいくつかの種類(写し)があって、本によって従三位だったり従一位だったりしているということのようだ。
 油江というのはこのあたりの地名で、江戸期にはすでに地名は失われて上中村という村名になっており、油江天神という神社名として残ったと。
『尾張国神社考』の中で津田正生はこう書いている。
「従三位油江天神 一本無此社又一本作泥江 又 【集説云】上中村天神歟 村東二町餘 油は泥の誤字なる歟、或は重出歟 【正生曰】愛智郡の本國帳は、尤誤おほければ然るべくおほゆ」
【集説云】は『本国神名帳集説』のことで、歟は「か」と読み、「何々か?」というような言い回しで、言い切ってはいない表現だ。
 つまりは、従三位油江天神は上中村天神か? 油は泥の誤字か? ということだ。
 重出(じゅうしゅつ)というのは、同じ事柄が重複して出ることをいうのだけど、この場合はどういう意味なのかちょっと分からない。

「泥」は古くは「ヒヂ」と読み、意味は現代と同じく水を含んだ土のことだ。
 油江天神の北1.7キロに土江神社がある。正しくは土の中に点のある字で「ひじえ」神社という。
 中区には泥江縣神社があり、「ひじえあがた」と読む。
 おそらくこのあたりの土地が湿地帯や沼地だったことから名付けられた地名なのだろうけど、神社同士の関連も考えられる。特に土江神社と油江天神社は祭神がスクナヒコナという共通点がある。
 しかし、油と泥の字を間違えるだろうか? たとえどこかの時点で間違えたとして、そのまま放置されるとは考えにくい。「アブラ」もしくは「ユ」と「ヒヂ」では読みも全然違う。
 油江という地名が実際にあったというなら、素直に地名から神社名がつけられたということでいいのではないか。

『尾張志』は続けてこう書く。
「当社に寛永八年五月廿五日かける棟札あり それに南無天満大自在天神之御社とあり かの本国帳に某天神と書るは神階によりて名神天神地神と差別ある三等の名目なる事をも辨へす天神といへは皆菅神とこころ得あやまりて式内帳内等の官社を菅家とあてたる類国中甚多しよく考へわくへき也 此棟札を見てゆくりなく菅天神に思ひあやまる事なかれ(後略)」
 寛永八年は江戸時代前期の1631年で、その年数が入った棟札に「南無天満大自在天神之御社」とあるけど、それは間違いだと言っている。天神というと菅原道真と最近の人は思っているけど天神は神階の天神のことだと。
 江戸時代前期の時点で、すでにこの神社のことはよく分からなくなっていたということを示している。
 それにしても、どこも祭神について触れていないのは何故なのだろう。

『愛知縣神社名鑑』に書かれた「医道の祖神で万病に効く御神徳あり特に歯痛に霊験高く、人々油を供えて祈願する」というのは、後世のことかもしれない。
 祭神のスクナヒコナは医術の神ともされるからそこから来ているのだろう。
 もし、江戸時代にこの風習があったとしたら、『尾張志』などでそのことが書かれているはずだ。
 それに、江戸時代の庶民にとって油は高価で貴重なものだったから、そう簡単に供えられたかどうかというのもある。
 祭神をスクナヒコナとしたのが明治期以降ならば、油を供えて歯痛が治るように祈願したというのもそれ以降のことかもしれない。

 以上のように、史料としてはそれなりにあるのだけど、この神社の本質的な部分は何も分からないに等しい。
 いつ誰がこの地に建てたのか、祭神はもともとスクナヒコナだったのか、油江は泥江の間違いなのかそうじゃないのか、土江神社との関連はあるのかないのか。
 最初に書いた惜しいというのはそういう意味だ。
 こぢんまりとした中にも歴史と品格を感じさせる神社として建ってはいるものの、平安期にはすでにあって従一位だったりもしたということを考えると、やっぱりちょっと残念な気がする。
 人間が過去の自慢話をしたがるように神社にもそんな思いはないのだろうか。立派な人間ほど威張らないように立派な神社も威張ったりしないということかもしれない。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

歯痛と油の油江天神社

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