金山駅の西北、国道19号線(伏見通)を西へ少し入ったところにある小さな龍神社。 金山駅周辺では多くの遺跡が見つかっており、古い寺社も多い歴史のある土地だという認識を持っている名古屋人は少ないかもしれない。 ここは熱田台地のちょうど中間あたりで、最も横幅が狭くなっている場所だ。熱田台地(那古野台地)の北の端には名古屋城(地図/web)があり、南の端には熱田神宮(地図/web)がある。 金山駅の北では正木町遺跡や伊勢山中学校遺跡などが、その東に古沢町遺跡、その北には富士見町遺跡が、駅の南には東古渡遺跡が見つかっており、古いものでは縄文時代の遺物が出土している。 尾張最古ともされる尾張元興寺(願興寺)が建てられたのも金山駅のすぐ西だった。 古代は少し北を古東海道が斜めに横切っており、古渡に新溝駅があったともいわれる。 江戸時代の古渡(金山)は、名古屋城下と熱田を南北に結ぶ本町通と美濃路の交差点だった。 明治以降、最初に発展したのは駅西に当たるエリアで、東側は民家も少なかった。 金山に初めて駅を作ったのは名鉄(名古屋鉄道)で、昭和19年(1944年)のことだ。国鉄はそれに遅れて昭和37年(1962年)にようやく開業している。金山駅を中心とした街となったのは戦後のことだ。
この神社の470メートルほど北西に闇之森八幡社(地図)がある。 この榎白龍大神は、闇之森八幡社の境外社ということになっている。もともとそうだったのか、後になってそうなったのかは分からない。 榎白龍大神の330メートル北西には榎白龍明神(地図)がある。そちらも闇之森八幡社の境外社という。名前からして関係社には違いないのだけど、詳しいことは調べがつかなかった。 闇之森八幡社は、昼なお暗い森の中にあったことからそう呼ばれるようになったとされる。江戸時代に名古屋城ができるまではこの辺りは森だらけの寂しいところだったようだ。 闇之森八幡社の境内社に楠黒龍大神も祀られている。 いずれにしても、榎にまつわる龍神を祀る社が始まりだったのではないだろうか。
境内にある注連縄がつけられた木が榎だろうけど、枝葉が大胆に切り落とされていてほとんど裸のようになっていて判別できなかった。 石碑に手がかりを求めたのだけど、表面が剥落して読み取ることができない。わずかに残った部分を読むと、闇之森八幡社の由緒について記されているようだ。 鎮西八郎と称した源為朝の息子・義次が尾張のこの地にやってきて土御門天皇の命で賊を退治して鬼頭という名前を与えられ、闇之森八幡社を創建した云々というやつだ。そのあたりのことについては闇之森八幡社のページに書いた。
いつ頃この神社が建てられたのかはちょっと分からない。江戸時代ということもあり得るけど、金山駅ができて以来このあたりも大きく様変わりしているので、もともとこの場所にあったとは考えにくい。 それでも戦後70年以上経っているわけで、境内は古い時代の空気のようなものをとどめている。移り変わりの激しい街中で、狭い空間とはいえ歴史の空気感を保っているということは、考えてみるとけっこうすごいことではないかと思う。
作成日 2018.4.30(最終更新日 2019.3.13)
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