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神明社(岩塚)


もう少しだけ光を



岩塚神明社

読み方しんめい-しゃ(いわつか)
所在地名古屋市中村区岩塚町字上小路46 地図
創建年不明
旧社格・等級等無格社・十五等級
祭神天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
アクセス地下鉄東山線「岩塚駅」から徒歩約24分
駐車場 なし
その他例祭 旧暦8月16日
オススメ度

 岩塚の七所社地図)の少し西にある小さな社。七所社の境内社かと思ったらそうではないようで、もともと独立した神社だったようだ。七所社からいったん外に出ないと行くことができない。



『愛知縣神社名鑑』にこんなことを書いている。
「創建は明かではない。享保十九寅年(1734)3月、同村の氏神七所社境内に移し祀るも村内困窮続き加えて悪疫流行した。村民神威を畏怖して寛保二戌年(1742)3月25日、原地に復社された。明治6年、据置公許となる」
 同じ話が岩塚剣町の八劔社にも伝わっている。
「伝え聞く享保十九寅年(1734)3月、同氏神七所社境内へ転合するに村内漸々困窮、加え悪疫流行に付、弥々神威に畏怖し尚又寛政二戌年(1790)3月、旧地へ復せりと」
 江戸時代中期の1734年に岩塚村で何らかの事情があって、神明社と八劔社を七所社に遷したのだろう。しかし、その後、村に悪いことが立て続けに起こって、これは神社を遷したせいかもしれないということになり、それぞれ元の場所に戻したという経緯のようだ。
 ただ、神明社は8年後に戻したのに対して、八劔社を戻すまでに56年経っている。これはそれぞれ別の話と考えた方がいいのかもしれない。



 岩塚の神明社について分かることは少ない。前々除となっていることから江戸時代以前からあったのは間違いないだろうけど、どこまでさかのぼれるかは分からない。最初から神明社だったとすれば、それほど古くはないのではないか。
 本当に今の場所が旧地だとすれば、どうして七所社内ではなくすぐ近くに独立して祀ったのか。
 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、江戸時代から七所社の境内地はそれほど変わっていなかったかもしれない。神明社とは近いけど隣接しているわけではない。神明社が祠程度の規模だったとしても、七所社の外にあったのだろう。
 ここは集落の北西端あたりで、すぐ西には庄内川の堤防道路が通っていた。北側の空白地は森林地帯だったのではないかと思う。
 かつての旧佐屋街道はここより南にあって、名古屋高速5号線の高架がある新道は戦後に作られたものだ。



 神明社があるところは非常に暗い。高速道路の高架のせいとか、木々が覆っているとか、そういうことではない。空気が暗い。
 日陰者神社とでも呼びたくなるような気の毒さで、空き地の中に置き忘れられたように小さな社がぽつんとある。
 めったに訪れる人はいないんじゃないか。私だけでも訪れてあげてよかったと思ったほどだった。
 誰が管理しているのかは分からないのだけど、せめて七所社を訪れた方はついででいいから寄ってあげて欲しいと思う。
 もう少しだけでも光を当ててあげると復活する神社のような気がする。




作成日 2017.11.21(最終更新日 2019.5.13)


ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

寂しげだけどかすかな体温がある岩塚神明社

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