熱田神宮(web)の北西は幡屋(はたや)という地区で、古い起源を持つ地名のひとつとされている。 地名の由来について『尾張志』(1844年)はいくつかの説を紹介している。 『日本書紀』に書かれている漢織・呉織(あやはとり・くれはとり)の綾織(あやおり)に由来するとか、『続日本紀』にある和銅五年(712年)に伊勢・尾張・三河に綾綿を織るように命じたことから来ているとか、ヤマトタケルが死後白鳥になって飛んでいったときの羽が白旗に見えたことから幡屋と名付けたなどという話があるとしつつ、「何れもあやしき伝えなれとその地名の古き事疑いなし」と書く。 実際のところはどうか分からないのだけど、相当古い地名で、もともとは機綾(はたあや)だったことを考えても、機織(はたおり)に関係する地名の可能性は高い。 熱田社の神官の衣を縫っていた集団がいたことから名付けられたという話もある。
猿田彦宮があるのは断夫山古墳(地図)の北、国道19号線を西に入ってすぐだ。 通り沿いに猿田彦宮という社号標があり、横には猿田彦大神と書かれた大きな看板がある。 その看板に書かれている内容がよく分からない。
「日本最古御降臨の御聖地(幣掛)」
誰がいつここに降臨したのだろう? サルタヒコは地上の神だから降臨はしない。ニニギ一行がサルタヒコの案内で熱田に降り立ったなんて話は聞いたことがない。 幣掛も意味が分からない。「しでかけ」と読ませるか、「ぬさかけ」なのか。 宮城県に幣掛(ぬさかけ)という地名があるけど関係ないだろう。 奈良県の吉野山には幣掛神社(しでかけじんじゃ)があって、速秋津比売神(ハヤアキツヒメ)を祀っている。それも関係なさそうだ。 幣(ぬさ)は、にぎて、幣帛(へいはく)、御幣(ごへい)ともいい、神への供え物や祓(はらえ)のときに使われるものだ。 本殿の前に、紙垂(しで)を木に挟んで立てかけてあるのを見たことがあると思う。あれだ。昔は麻や木綿(ゆう)、織った布だったという。 日本最古の降臨の聖地=幣掛とはどういうことなんだろう。 御札、御砂の授与を道を挟んだ家がやってますという案内があったから、そこの人に訊ねれば何か教えてくれるかもしれない。
創建の時期やいきさつについてはまったく情報がないため何も分からない。 サルタヒコは様々な民間信仰と結びついていたから、そういう種類のものかもしれない。 伊勢の猿田彦神社(web)や椿大神社(web)などから勧請して祀ったというものではなさそうだ。 すぐ南にある淳徳寺は真宗大谷派の寺院だけど、ここと関係があるのかないのか。 庚申堂や道祖神など、いくつもの可能性が考えられる。 あるいは、近年に建てられたものかもしれない。
作成日 2017.8.26(最終更新日 2019.9.9)
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