神明社(土野町)

野田村の古い神明社

野田神明社

読み方 しんめい-しゃ(つちの-ちょう)
所在地 名古屋市中川区土野町51番地の1 地図
創建年 1262年(鎌倉時代中期)
社格等 村社・十四等級
祭神 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
 アクセス

・地下鉄東山線「八田駅」から徒歩約23分
・JR関西本線「八田駅」から徒歩約23分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 現住所は土野町(つちのちょう)だけど、かつて野田村だったところだ。
 野田村にあった神明社、八王子社三狐神社の中の神明社がここだ。
『尾張志』にはこうある。
「神明ノ社 村の氏神也 末社に白山社八幡社あり
 八王子ノ社 氏神より東南にあり
 サグジノ社 氏神より東にあり」
 三社の位置関係は、少なくとも江戸時代後期から変わっていないようだ。
『愛知縣神社名鑑』はこう書く。
「創建は古く弘長2年(1262)という。此の地は『神鳳抄』にいう伊勢神宮の野田(沼田の訛)御厨の跡地である。明治4年10月、村社に列格する」
『神鳳抄』(神鳳鈔/じんぽうしょう)は伊勢の神宮の神領を記したもので、鎌倉時代初期の1193年に書き始め、1360年に完成したとされる。
 それを見ると「内宮 野田御厨」とある。
 その関係で神明社が創建されたというのは自然なことだ。
 1262年となると、尾張地方の神明社ではかなり古い方だと思う。

『寛文村々覚書』によれば、江戸時代前期には「前々除 中郷村 祢宜 孫大夫持分」となっていたことが分かる。中郷村は、野田村から見て南東に隣接する村だ。
『尾張徇行記』に「神明社、三狐神 八王子社 此三社草創ハ知レズ、再建は寛文七年未年ナリ」とあるから、三社まとめて1667年に再建されたようだ。

 神社は庄内病院の敷地内にあるような格好になっているのだけど、これはたぶん逆で、神社の境内に病院が建ったのだと思う。
 境内は全体的に斜めになっており、社殿も南西を向いている。場所は移っていなくても、境内の一部を売ったときに社殿は建て直したかもしれない。
 拝殿の奥に覆殿というのか建物で本社を覆っているため、中はよく見えない。隙間から覗くと、本社の左右に小さな社があるのが見える。『尾張志』がいうところの「末社に白山社八幡社」がこれに当たるだろうか。
 境内に馬の像があって、拝殿に白馬を描いた絵が掛けられているのは三狐神社と共通する。野田村の神社に神馬がいたことがあったのかもしれない。
「棒之手再興之師 梅村順助翁碑」の碑がある。
 棒の手というと、尾張旭や瀬戸といった尾張北東部の印象が強いのだけど、南西部にも受け継がれていたようだ。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

鎌倉中期創建の土野町神明社

HOME 中川区

スポンサーリンク
Scroll Up