鳴海八幡宮

ただの八幡社ではないもうひとつの鳴海神社

鳴海八幡宮鳥居と拝殿

読み方 なるみ-はちまん-ぐう
所在地 名古屋市緑区鳴海町字前之輪23 地図
創建年 不明
社格等 村社・八等級
祭神

應神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
玉依姫命(たまよりひめのみこと)
月読尊(つくよみのみこと)

 アクセス

・名鉄名古屋本線「鳴海駅」から徒歩約20分
・JR東海道本線「大高駅」から徒歩約12分
・駐車場 あり(無料)

webサイト  
オススメ度 **

 この神社は本当に八幡社なのだろうか?
 調べていくうちにだんだん分からなくなった。
 もちろん、八幡社には違いない。江戸時代に書かれた『尾張名所図会』でも『尾張志』でも應神天皇を祀るとしている。けど、だからといって最初から應神天皇を祀る神社として創建されたとは限らない。八幡社は鎌倉期以降に流行った神で、それまで氏神を祀っていた神社が途中から八幡社になった例は多い。
 一番疑問に思ったのは祭神の顔ぶれだ。應神天皇の母の神功皇后はいいとして、ニニギとタマヨリヒメとツクヨミが一緒に祀られているのは、どう考えてもおかしい。明治期や大正期に周辺にあった神社を合祀して配祀したというなら分かるのだけど、調べてもそういう話は出てこない。『尾張志』などでこれらの祭神に触れられていないということは明治以降の合祀なのかもしれないけど、それにしても、明治になるまでニニギやタマヨリヒメやツクヨミを祀る神社がここらにあったというのもちょっと考えづらい。
 この鳴海八幡宮は、式内・成海神社の別宮だという。それがまた話をややこしくしているというか、私の頭を混乱させる。

 別宮というのは、本社に次ぐ地位の神社で、摂社よりも上に位置づけられるものだ。本社と同等に扱われることも多い。
 成海神社の創建は飛鳥時代の686年でほぼ間違いないと思われる。ヤマトタケルとミヤズヒメの逸話にちなんで鳴海の地に建てられたもので、熱田神宮との関わりが深い。
 しかし、鳴海八幡宮の祭神のニニギ、タマヨリヒメ、ツクヨミは熱田系の神ではない。皇室系というか伊勢の神宮系統の神だ。
 タマヨリヒメが入っているのも不思議で、海の神オオワタツミの娘で、初代天皇・神武天皇の母に当たる女神だ。子育ての神といった性質が強く、八幡神とは結びつかない。
 鳴海八幡宮は、いつ誰が創建したのか。どういう経緯で別宮となったのか。最初から別宮として創建されたのか。
『尾張志』にはこうある。
「鳴海むらにあり 應神天皇を祭る 創建の年月定かならす いにしへ 神領ありけるが今は絶えたり 弘治天正などの証状に成海神社とひとしく此社号も見えて並々ならさし社なる事も知られたり」
『尾張名所図会』ではこうだ。
「駅の南、善之庵村(ぜんのあんむら)にあり。 祭神 應神天皇。 此社も鳴海神社と称するは、東宮大明神の別宮なるがゆえなり」
 東宮大明神は成海神社のことを指す。一瞬、鳴海八幡宮が西にあって成海神社が東だから東宮と呼ばれたのではないかと考えたけど、2社の位置関係は東西というより南北に近いからそれは違うだろう。
 一番古い記録としては、鎌倉時代前期の1232年に、久野家初代が社職となったというものがある。
 その頃境内にはすでに楠(クスノキ)の大木があったといい、今もその楠は御神木として残っている。推定樹齢は1000年を越えるという。
 このような記録から見ても、かなり古い神社であることは間違いなさそうだ。少なくとも平安時代まではさかのぼれるのではないかと思う。ただし、『延喜式』には載っていない。
『愛知縣神社名鑑』によれば、1557年に今川義元が成海神社と鳴海八幡宮に神田を寄進したとあり、1589年には山口長次郎重政(織田家家臣で星﨑城城主)が両社に社領を寄進したとする。
 両社に同じく寄進しているということは、やはり鳴海八幡宮と成海神社はセットとして考えられていたということだろう。

  もうひとつ気になるのは地形と位置関係だ。
 成海神社の元宮(地図)があった場所は、すぐ南が海の高台だった。
 鳴海(なるみ)の地名は、海鳴りや波の音を由来とするのが定説となっている。かつては成海や奈留美などとも表記した。
 ここらの海は年魚市潟(あゆちがた)と呼ばれ、「あゆち」が「愛知」の語源になったとされる。平安期以降は鳴海潟と称されるようになる。
 鳴海八幡宮のある場所は、現在の鳴海駅を挟んだ南側の高台だ(地図)。かつて成海神社と鳴海八幡宮は入り海を挟んだ対岸に位置していたと考えられる。この間の海は東まで深く入り込んでいたから、行き来は陸路ではなく舟だったのではないだろうか。
 鳴海八幡宮が建つ場所は、弥生時代に集落があった場所だ(前之輪遺跡)。すぐ北にある緑小学校のグラウンドから弥生土器なども見つかっている。
 ここは当時では少し珍しく、海岸に集落があったと考えられている。弥生時代の集落は台地上の高台にあることが多い。
 名古屋地区は海進の影響を非常に受けやすい土地で、縄文期は名古屋市内の西半分は完全に海の底だった。弥生時代にいったん海面が下がって海岸線が後退したものの、古墳時代から平安時代にかけて再び海進してきて、また西の一部が水没したと考えられる。この地方の人たちが本格的に平地に進出して田畑を開拓するのはそれ以降のことだ。古墳や古い神社などの分布をみるとそれがよく分かる。
 入り海を挟んで北と南にあったふたつの鳴海神社。この関係性を解き明かさない限り、鳴海八幡宮の実像は見えてこない。現状、私はここで行き止まりとなった。

 江戸期まで成海神社と鳴海八幡宮は同じ日に例祭を行い、神輿を渡すなど、たいへんな賑わいを見せたという。
『尾張名所図会』はその様子をこう語る。
「例祭 八月十五日。 神輿を北の方の森へ遷幸(せんこう)し奉り、駅々より笠鉾(かさほこ)及びねり物を多く出して、駅中を引渡し、頗る(すこぶる)壮観にして、旅客の目を喜ばしむ。総て近郷の祭礼、此式に慣(なら)ひて笠鉾を出せるもの多し。」
 しかし、江戸時代中期の元禄13年(1700年)に、両神社のあいだで祭礼をめぐっていざこざが起きてケンカ別れとなり、以降は別々の日に祭りを行うようなった。鳴海八幡宮を表方、成海神社を裏方と呼んでいる。
 現在は両神社の関係は良好のようで、例祭日こそ別なものの、それぞれが持つ山車を引き回して両社の間を往復している。
 表裏あわせて九輌の山車が揃う姿は見事なものだそうだ。
 鳴海八幡宮の祭礼では、猩々(しょうじょう)と呼ばれる赤い顔の鬼のような神様が登場する。赤鬼のようであり、天狗のようでもあり、秋田のなまはげにも少し似ている。
 もともとは中国の古典や仏教の古典などに登場する妖怪のたぐいだったのが日本に入ってきて様々な形、姿に変化していった。酒好きということで赤ら顔になったとも考えられる。
 最初に記録に登場するのは江戸時代中期の1757年、『尾陽村々祭礼集』という。どういうきっかけで始まったのかはよく分からない。
 鳴海は江戸時代、東海道の鳴海宿があったところで、祭りが賑わったのはそのせいもあった。一時は熱田方面、豊明方面、豊橋や知多方面まで猩々祭りが広がっていったという。酒造業との関連を指摘する説もある。
 近年は緑区くらいにしか残っていないのかもしれない。名古屋の人間なら名古屋まつりなどで見たことがあるという人も多いんじゃないだろうか。

 『尾張志』にある「天神ノ神」の項も少し気になった。
「同村にあり 祭神 成海神社と同神也 朱雀元年鎮座の由」
 朱雀元年というのは朱雀天皇が即位した年(930年)ではない。朱雀天皇時代の元号は、延長、承平、天慶だ。
 朱雀というのは九州年号だとか、私年号だとか、いろいろ説があってはっきりしたことが分からない。天武天皇が定めた朱鳥の別称ではないかという説もあり、そうだとすれば朱雀元年は686年ということになる。これは成海神社の創建年と同じだ。
 現在の鳴海八幡宮の境内社の中に、天神社やそれに当たるような社はない。ヤマトタケルやミヤズヒメを祀ってもいない。
 少し変わったところでは、武内宿禰命(たけうちのすくねのみこと)を祀る高良社や、稚日女尊(わかひるめのみこと)を祀る香良洲社、瀬織津比咩神(せおりつひめのかみ)と気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)を祀る祓戸社がある。
 高良神社といえば、福岡県久留米の高良山にある筑後一宮・高良大社が総本社だ。祭神の高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)は武内宿禰のことという説がある。八幡社との関係でいうと、京都の石清水八幡宮の摂社に高良神社がある。
 稚日女尊は機織りの女神だ。高天原で神の衣を織っていたら、スサノオが暴れた巻き添えを食って死んでしまったと『日本書紀』にある。
 もともと三重県鳥羽市の志摩国一宮・伊射波神社(いざわじんじゃ)に鎮座していたのが、神功皇后が三韓討伐で朝鮮半島に渡ろうとしていたとき神戸に現れて、自分はここにいたいというので建てたのが式内・生田神社とされている。
 瀬織津比咩と気吹戸主は、速開都比咩、速佐須良比咩とともに祓戸四神とされる神で、罪穢(けが)れを祓(はら)う神だ。『古事記』、『日本書紀』には登場せず、『延喜式』の大祓詞(おおはらえのことば)の中に出てくる。
 それぞれ役割が決められていて、瀬織津比咩はもろもろの罪穢れを川から海へ流し、速開都比咩が海の底で待ち受けてそれを飲み込み、気吹戸主は根の国、底の国に息吹を放ち、速佐須良比咩が罪穢れをさすらってなくす。
 瀬織津比咩はアマテラスの荒魂ともされ、伊勢の神宮では別宮・荒祭宮の祭神とされる他、兵庫県西宮の廣田神社(ひろたじんじゃ)のかつての祭神が瀬織津比咩だったともいう。
 気吹戸主を単独で祀っているところは少なく、京都府京丹後市の伊吹神社などがある。

 名古屋では馴染みのないこれらの境内社があることからしても、鳴海八幡宮が並みの八幡社ではないことがうかがい知れる。
 この神社は謎が多くて奥が深い。今後とも追跡調査をしていこうと思っている。何か分かれば追記に書くことにしたい。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

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