御器所八幡宮

御器所八幡宮はただの八幡社ではない

御器所八幡宮の鳥居と社殿

読み方 ごきそ-はちまん-ぐう
所在地 名古屋市昭和区御器所四丁目4-25 地図
創建年 伝850年頃(平安時代前期)
旧社格・等級等 郷社・八等級
祭神 品陀和気命(ほむたわけのみこと)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
弥都波能売命(みつはのめのみこと)
菊理媛命(くくりひめのみこと)
五男三女神(ごなんさんにょしん)
アクセス 地下鉄鶴舞線「荒畑駅」から徒歩約12分
駐車場 あり(無料)
webサイト 公式サイト (052)881-9512
その他 例祭 10月14日・15日 授与所 常駐 各種祈祷
オススメ度 **

 平安時代前期の850年頃、第54代仁明天皇(にんみょうてんのう)の勅願所(ちょくがんしょ)として熱田神宮鬼門を守護するために創建されたという言い伝えがある。
 御器所(ごきそ)の地名は古く、鎌倉時代に書かれた歴史書『吾妻鏡』にも記述があり、この地で熱田神宮の神事のときに使う土器を焼いていたことから名付けられたとされる。
 室町時代中期の1441年、佐久間家勝らによって社殿が修繕されたという棟札(むなふだ)を所蔵するという。そこには八所大明神(はっしょだいみょうじん)とあることから、中世はそう称していたことが分かる。
 鎌倉時代以降、この地は佐久間氏の領地だった。承久の乱(1221年)のとき、幕府側について戦功を上げた家盛が恩賞として御器所の地を与えられたことに始まる。
 家盛は鎌倉幕府の御家人となり、後鳥羽上皇側について戦った父の朝盛(とものり)とともに許され、一族でこの地にやってきて定住することになった。
 家勝が八所大明神を修繕した1441年は、御器所西城を築いた年でもある。御器所八幡宮から見て北西約300メートル、現在尾陽神社がある場所にその城はあったとされる。
 佐久間氏は桓武平家の流れを汲む名門で、戦国時代には織田家の家臣となり、信長の重臣だった信盛(のぶもり)などを輩出している。
 このような流れを見ると、御器所八幡宮の原型は遅くとも鎌倉時代にはできていたと考えてよさそうだ。
 明治の神仏習合で分離させられた醫王山神宮寺は、嵯峨天皇の遺志を継いで息子の仁明天皇が850年に創建したとされている。熱田神宮の別当補佐だった高野山の僧・成惠僧都が熱田神宮の鬼門除けとして建て、1304年に落雷で焼失したのち、御器所に移された。
 八所大明神と神宮寺を合体させたのも、1441年で、家勝による。
 八幡神社となるのは江戸時代前期以降のこととされる。

『愛知縣神社名鑑』はこう書いている。
「創建は明かではないが、『尾張志』に古くは八所大明神と称す。嘉吉元辛酉年(1441)十一月十六日とある棟札に奉造立御器所八所大明神を領主佐久間美作守家勝が修造とあり、慶長五年(1600)十一月のものにも八所大明神と記るす。万治二年(1659)十一月の棟札から八幡宮とあり、永禄七年(1564)寛永五年(1628)それぞれ修造すと、佐久間一族の尊崇あつく、明治5年、八幡神社と改め村社に列格し明治42年9月1日、供進指定社となる。昭和13年9月1日、郷社に昇格する。昭和55年4月8日、御器所八幡宮と改称した。(神徳)古老の口伝、往古熱田の神領にて鬼門除、鎮護の神と崇められた」

 八所大明神の八所とは何を指すのか。
 いろいろな説があって名前の由来はひとつではない。通常、八柱の神を祀るからというのが多いのだけど、神仏習合時代特有の神かもしれない。
 五男三女神(ごなんさんにょしん)のこととされたのはおそらく明治時代以降のことだろう。
 アマテラスとスサノオの誓約(うけい/占いのこと)で生まれた正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)、天之菩卑能命(アメノホヒ)、天津日子根命(アマツヒコネ)、活津日子根命(イクツヒコネ)、熊野久須毘命(クマノクスビ)、多紀理毘売命(タキリビメ)、市寸島比売命(イチキシマヒメ)、多岐都比売命(タキツヒメ)を五男三女神という。
 在野の民俗学者だった吉野裕子は、天から降ってきた八乙女のことではないかとする。それは輔星(ほせい)を含めた北斗七星の8人のことという。
 神社の創建をいつ誰が行ったのかがはっきりしないため、初めに祀った神を特定することは難しい。
 古い時代に熱田神宮へ神器を提供していたというなら尾張氏とも関わりがあるに違いないけど、そのあたりのことはよく分からない。
 いずれにしても、ここは鎌倉、室町あたりに八幡社として建てられた神社ではない可能性が高い。個人的には式内社ではないかと疑っている。神名帳にある物部神社か高牟神社ではないのかと。ひょっとすると式内の川原神社かもしれない。
 津田正生は『尾張国神社考』(尾張神名帳集説訂考)の中で、『延喜式』神名帳(927年)の愛智郡物部神社は御器所村の八幡で、物部郷は御器所村の旧名だと書いている。

 創建のいきさつがどうであれ、江戸時代以降は八幡神社として歴史を重ねてきたということで、とても八幡らしい八幡という印象を受けた。正統派二枚目のような八幡神社だ。
 江戸時代まではもっと境内も広く、深い杜に囲まれていたという。その頃の名残がまだ少し残っているように感じられた。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

御器所八幡宮は八幡らしい八幡社と感じた
御器所八幡宮再訪であらためていい神社だと思う

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