津島神社(吉津)

地域で守る津島さん

吉津津島神社

読み方 つしま-じんじゃ(よしづ)
所在地 名古屋市中川区吉津2丁目126番 地図
創建年 1901年(明治34年)
社格等 十三等級
祭神

須佐之男命(すさのおのみこと)

アクセス

・JR関西本線「春田駅」から徒歩約36分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 万場小橋から南へ380メートルほど下った新川と用水路の間の狭い土地に収まる小さな神社。
 東の堤防道路は車通りが激しく、人が歩くような道ではないし、用水路の方もよそ者がうろつくようなところではないから、たまたまこの神社を見つけて訪れるという可能性は低そうだ。
 新川を挟んで東にある万場小学校からは見えるだろうから、学区の人はよく知る神社だと思う。

 創建は明治34年(1901年)と新しい。
『愛知縣神社名鑑』によると、「明治34年1月、津島神社の分霊を奉戴し町内の安全と五穀豊穣を願った。 昭和30年10月名古屋市に合併を記念に拝殿を造営し 昭和50年境内地を拡め社務所を新築する」とある。
 明治34年にどういうきっかけで神社が建てられることになったのかは分からない。吉津地区にも民家が増えて神社のひとつくらい必要だということになっただろうか。
 少し南へいった吉津4丁目には日吉神社があるのだけど、そちらはかつての長須賀村に属するエリアだったと思う。吉津1丁目、2丁目は万場村だろう。

 この地区の歴史をさかのぼれば、富田の荘と呼ばれた荘園が開かれたことに始まる。それが平安時代後期の11世紀後半頃だったとされる。
 富田町から海部郡の蟹江町、七宝町、大治町、甚目寺町あたりがその範囲だったと考えられている。
 近衛家などが所有したのち、北条義時、北条時宗へと地頭職(じどうしき/地頭としての職務と権利)が移り、鎌倉円覚寺に寄進された。
 1906年(明治39年)に海東郡万須田村、赤星村、戸田村、豊治村が合併して海東郡富田村が新設された。
 1913年には海東郡と海西郡が海部郡となり、戦中の1944年に富田町となった。
 戦後の1955年(昭和30年)、名古屋市と合併し、中川区に編入された。
 拝殿が建てられたのもそのときだ。

 名古屋には屋根神という風習がある。名古屋の北西部を中心に、愛知県、岐阜県の一部という限られた地区にのみあるもので、文字通り屋根の上に祠を乗せて神を祀るというものだ。
 起源ははっきりしないものの、幕末もしくは明治初期に始まったと考えられている。一番多かったのは明治30年から40年代ということで、ここ吉津の津島神社創建の時期も重なる。
 ここは屋根神ではないものの、規模としては小さく、感覚としては屋根神に近い。
 屋根神の多くは津島神社から勧請して祀った。明治の神仏分離令以降、祭神は牛頭天王から須佐之男(スサノオ)に変えられていたとはいえ、庶民の感覚ではまだ牛頭天王が残っていたかもしれない。疫病退散といえば、この地方では牛頭天王だった。
 のちに火除けの秋葉社や熱田神宮が加わり、現在でもこの三社をセットで祀っているところが多い。

 よそ者がどうこう言うことではないのだけど、こういう地区の神社は地区で守っていくしかないわけで、町内や学校ぐるみで大事にしていって欲しいと思う。
 たまに私のような物好きがふらっと訪ねていくこともあるだろう。そんなとき、きちんと行き届いている神社というのは気持ちがいいものだ。
 歴史の深い浅いが神社のすべてではなく、今現在どうなっているかも重要なことだと思うのだ。
 そういう意味でいうと、この津島神社はちゃんと守られているという感じがした。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

吉津津島社は地域を守り地域に守られる

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