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朝苧社


姥神とはマシキトベなのか?



朝苧社

読み方あさお-しゃ
所在地名古屋市緑区大高町東姥神 地図
創建年不明
旧社格・等級等不明
祭神火上老婆霊(ひかみうばのみたま)
アクセスJR東海道本線「大高駅」から徒歩約23分
駐車場なし
祭礼・その他不明
神紋
オススメ度
ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)
朝苧社 —静かな山に眠る姥は誰のことか

 氷上姉子神社地図)の境外社で、火上の地主神である火上老婆霊(ひがみうばのみたま)を祀るという。
 姥(うば)は一般的に年老いた女性、老婆のことをいう。年老いた宮簀媛(ミヤズヒメ)を祀っているのかと思ったら、宮簀媛の母を祀っているという。
 そういうものかと納得してしまえばそれで済む話なのだけど、いくつか検討しないといけないことがある。

 氷上姉子神社は本来、火上山の元宮がある場所にあったとされる(地図)。そこは乎止与(オトヨ)の館があったところとも、宮簀媛の館があったところともされる。
 現在の氷上姉子神社は宮簀媛命を祀るとしているけど、熱田社の元宮だったかもしれない。草薙剣を祀っていたと決めつけていいのかどうかはなんともいえないのだけど、何らかの社があったとは考えていいと思う。
 氷上姉子神社は持統天皇時代の690年に現在地に遷されたとされる。
 現在は国道23号線や名古屋高速で分断されてしまっているけど、もともと西の火上山、氷上姉子神社本社、姥神は一体だった。
『尾張名所図会』(1844年)にもその様子が描かれている。少し位置関係が違うのだけど、浅苧祠もある。本文の説明に「火高大老婆の霊を祭る、大老婆は火高の里の地主なりとぞ」と書いている。

 ここで祀られている火上の地主神は本当に宮簀媛の母なのだろうか?
 宮簀媛(美夜受比売)は、乎止与の娘で、建稲種(タケイナダネ)の妹であり、日本武尊(ヤマトタケル)の妃となったとされる。
 姥神が宮簀媛の母ということであれば、それは乎止与の妻である眞敷刀婢(マシキトベ)ということになる。しかし、眞敷刀俾を祀るとはしていない。
 熱田神宮公式サイト)の摂社、上知我麻神社で乎止与命が、下知我麻神社で眞敷刀俾命が祀られている。
 乎止与は初代の尾張国造で、天火明(アメノホアカリ)の十一世孫(十世孫または十三世孫とも)とされる。
 尾張氏の本拠はどこかというのはいろいろ議論があるところなのだけど、乎止与のいた場所についても定説と呼べるものはなく、よく分からない。眞敷刀俾は尾張大印岐(おわりのおおいみき )の娘とされ、乎止与は入り婿だったとも考えられる。その頃の本拠は、松炬嶋と呼ばれた笠寺台地にあったともいう。現在の星宮社地図)があるあたりで、ここは千竈郷(ちかま)と呼ばれていた。
 上下の知我麻神社の「ちかま」はここから来ていると考えられている。
 千竈はたくさんの塩竈があったことが由来ともされ、星﨑あたりは塩の生産地だった。知我麻神社では塩作りを伝えた神を祀る一面もあることから、乎止与が塩作りの知識をもたらした可能性もあるだろうか。
 氷上姉子神社の元宮とされる火上山には何かがあったに違いないけど、そこが一時的でも尾張氏の本拠だったかといえば違うかもしれない。。
 いずれにしても火上山や氷上姉子神社では乎止与の影は薄い。建稲種の伝承もこのあたりにはない。
 熱田にある東海地区最大規模の断夫山古墳が築造されたのは6世紀初め頃。すぐ近くの白鳥古墳はもう少し前のようだ。
 知我麻神社が熱田に移されたのは645年の大化の改新(乙巳の変)の後とされ、草薙剣を祀る社もそのとき熱田で祀られるようになった可能性がある。
 草薙剣盗難事件(668年)や壬申の乱(672年)やなどが立て続けに起きてバタバタするのは、それからほどなくしてのことだ。
 氷上姉子神社が現在地に移されたとされる690年は持統天皇即位の年に当たる。持統天皇は死去する702年に三河行幸を行い、帰りに尾張の熱田社と氷上姉子神社に立ち寄って寄進したという伝承が残されている。そのあたりにも何か秘密めいたものを感じる。

 朝苧社の祭神を火高の地主神とすること自体に無理はない。ただ、宮簀媛の母とするのはちょっとどうかと思う。それが眞敷刀俾のことと考えるとピンと来ない。
 氷上姉子神社と朝苧社との関係も気になるところだ。
 今は小山の中腹に社がぽつんとあるだけの寂しい状態なのだけど、かつてはもっと大きな神社だった。近世に描かれた絵図を見ると、朝苧社を中心に、天神社、山神社、山王社、長社があり、北には氷上姉子神社神官の久米氏の屋敷があったことが分かる。
 この社は宮簀媛か、眞敷刀俾か、氷上姉子神社の巫女の墓という可能性も考えられる。
 朝苧社は麻苧社で、織物の神を祀るという説もある。
 お乳の出ない母親が参拝するとよく出るようになるという言い伝えがある。
 熱田神宮にある眞敷刀俾を祀る下知我麻神社は旅行安全の御利益があるとされる。
 これらは何を示しているのだろうか。イメージがまとまらない。

『寛文村々覚書』(1670年)には「西大高村 朝苧明神 当村 吉長 持内」とある。江戸時代前期の時点では氷上姉子神社の摂社ではなかったということだろうか。
『尾張名所図会』(1844年)には、氷上姉子神社の摂社として、八剣社、源太夫社、紀太夫社、広田社、稲荷社、山神社、白山社、白鳥社がかつてあったけど今(江戸時代後期)はすでになくなっていると書いている。
 このうちの源太夫社が上知我麻神社のことで、紀太夫社が下知我麻神社を指している。

 長い年月が流れる中で氷上姉子神社本社だけでなく関係社や境内社にもいろいろな変遷があったということだ。
 朝苧社とはどんな社かという問いに対する答えを私は持っていない。よく分からないとしか言いようがない。
 ただ、興味深い社であることは間違いなく、氷上姉子神社を理解する上で鍵を握っていることは確かだと思う。
 玉根社に宮簀媛が眠り、朝苧社で眞敷刀俾が眠り、氷上姉子神社では巫女たちが祈りの生活を送っていたとしたら、ここは女だけの世界だったのかもしれない。そこへ日本武尊がやって来て平和な世界を壊してしまったのだとしたら……。

 行き方が少し難しいので説明すると、まず名古屋中心部から大高方面へ国道23号線を南下すると仮定した場合、左手角のガソリンスタンド(地図)を左折して細い道に入る(この先は駐車場も駐車スペースもない)。
 そこから200メートルほど進むと右に折れて入っていける道があるので右折する。左右には家が建ち並んでいて私道っぽいのだけど大丈夫だと思う。進んだ先の道が石畳になっていたら正解ルートだ。
 山に入っていく細い道があり、右手足元に「朝苧社」を書かれた小さな看板を見つけられると思う。そこから山道を2、3分歩いた先に社がある。
 訪れる人はめったにいなくて寂しい思いをしてると思うので、氷上姉子神社を参拝した際は立ち寄ってやってください。


作成日 2018.4.25(最終更新日 2026.3.29)

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