須佐之男社(太閤)

名古屋駅裏で火事と疫病から人々を守る小さな社

須佐之男社・迦具土社

読み方 すさのお-しゃ(たいこう)
所在地 名古屋市中村区太閤3-6-10 地図
創建年 不明(江戸時代前期)
旧社格・等級等 無格社・十五等級
祭神 健速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)
アクセス 鉄道各社「名古屋駅」から徒歩約10分
駐車場 なし
その他 例祭 10月16日
オススメ度

 江戸時代の牧野村にあった神社の一社。
 椿神明社牧野神明社稲穂社厳島社とあわせて牧野5社と呼ばれた。

『愛知縣神社名鑑』にはこうある。
「社伝に承応3年(1653年)6月、暴風後疫病流行、ついで万治3年(1660年)1月、名古屋城下三千軒燃える大火あり藩主光友、天王、秋葉信仰を奨励し、町々に両神を祀る。維新後二社他にあったが、無謀な開発により境内矮小となる」
 万治3年の火事は万治の大火(まんじのたいか)と呼ばれ、左義長が行われる1月14日だったことから左義長火事ともいわれた。
 名古屋城下の大部分がこの火事で焼けている。延焼対策として道を広げたことで広小路が生まれるきっかけにもなった。
 火伏せの神として秋葉権現(カグツチ)を祀る秋葉社と、疫病を防ぐという牛頭天王(スサノオ)を祀る天王社を建てることを尾張藩二代藩主の光友が奨励したという話で、この二社はそれに当たるということなのだろう。
 もともとは別の場所にそれぞれあったものが、明治になって矮小神社になってしまったとある。
 この場所に二社をあわせて祀るようになったのは戦後のことだろうか。
 旧牧野村一帯も第二次大戦の空襲で大きな被害を受けた地区だ。

『寛文村々覚書』(1670年頃)の牧野村はこうなっている。
「社三ヶ所 内 神明弐社 弁才天 熱田祢宜春大夫持分 社内壱反五畝三歩 前々除」
 神明2社は椿神明社と牧野の神明社のことで、弁才天は厳島神社のことだと思うのだけど、厳島神社は1747年創建という話もあるので別かもしれない。
 このとき天王社はないので、創建は1670年以降ということになりそうだ。
 火之迦具土神を祀る秋葉社もそれ以降だろう。
 ただ、『尾張徇行記』(1822年)や『尾張志』(1844年)にも天王と秋葉は載っていないので、当時は祠程度のものだったかもしれない。だとすれば、1670年以前にさかのぼる可能性もある。

 神社の横の笈瀬通(おいせどおり)はかつての笈瀬川の流路で、その川にはカッパがいたという伝承が残っている。そのため、笈瀬通沿いの笈瀬本通商店街は、通称、かっぱ商店街と呼ばれている。神社の北西角にはカッパの銅像も建っている。
 笈瀬川は、もともとこの地が伊勢の神宮(web)の荘園だったことで御伊勢川と呼ばれていたといった歴史に関しては椿神明社のページに書いた。

 街中の民家の庭先のようなところにこぢんまりと収まっているこの神社だけど、氏子数は2,000戸と、この規模の神社とは思えないほど多い。さすが都会というべきか。
 牧野5社は、神明社でアマテラスとトヨウケヒメを、厳島神社でイチキシマヒメ(市杵島比賣命)を、稲穂社でウカノミタマ(宇迦之御魂神)を、須佐之男社でスサノオ、迦具土社でカグツチをそれぞれ祀っている。一通り取りそろえましたといった感じだ。
 これらの神社は狭いエリアに集まっていて、2キロないくらいだから歩いてぐるっと回っても30分くらいで回れる。
 名古屋駅の裏手にこれほど多くの神社があることを知らない名古屋人も多いんじゃないだろうか。実は駅の表にも神社が集まっている。名古屋駅エリアの神社もなかなか面白い。

 

作成日 2017.5.19(最終更新日 2019.4.17)

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

 

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