中村区の旧牧野村にあった神社の一社。
椿神明社、牧野神明社、稲穂社、厳島神社とあわせて牧野5社と呼ばれた。
創建年は不明ながら、江戸時代前期のようだ。
『愛知縣神社名鑑』にはこうある。
「社伝に承応3年(1653年)6月、暴風後疫病流行、ついで万治3年(1660年)1月、名古屋城下三千軒燃える大火あり 藩主光友、天王、秋葉信仰を奨励し、町々に両神を祀る。 維新後二社他にあったが、無謀な開発により境内矮小となる」
万治3年の火事は万治の大火(まんじのたいか)と呼ばれ、左義長が行われる1月14日だったことから左義長火事ともいう大火事だった。
名古屋城下の大部分がこの火事で焼けている。延焼対策として道を広げたことで広小路が生まれるきっかけにもなった。
火伏せの神としてカグツチを祀る秋葉社と、疫病を防ぐというスサノオ(牛頭天王)を祀る天王社を建てることを尾張藩二代藩主の光友が奨励したという話で、この二社はそれに当たるということなのだろう。
もともとは別の場所にそれぞれあったものが、明治になって矮小神社になってしまったとある。
この場所に二社をあわせて祀るようになったのは戦後のことだろうか。
空襲で焼けたのかどうか。中村もけっこう空襲でやられている。
神社の横の笈瀬通(おいせどおり)はかつての笈瀬川で、その川にはカッパがいたという伝承が残っている。そのため、笈瀬通沿いの笈瀬本通商店街は、通称、かっぱ商店街とも呼ばれている。
神社の北西角にはカッパの銅像も建っている。
笈瀬川は、もともとこの地が伊勢の神宮の荘園だったことで御伊勢川と呼ばれていたといった歴史に関しては椿神明社のページに書いた。
街中の民家の庭先のようなところにこぢんまりと収まっているこの神社だけど、氏子数は2,000戸と、この規模の神社とは思えないほど多い。さすが都会というべきか。
牧野5社は、神明社でアマテラスとトヨウケヒメを、厳島神社でイチキシマヒメ(市杵島比賣命)を、稲穂社でウカノミタマ(宇迦之御魂神)を、須佐之男社でスサノオ、迦具土社でカグツチをそれぞれ祀っている。一通り取りそろえましたといった感じだ。
これらの神社は狭いエリアに集まっていて、2キロないから歩いてぐるっと回っても30分くらいで回れる。
名古屋駅の裏手にこれほど多くの神社があることを知らない名古屋人も多いんじゃないだろうか。実は駅の表にも神社が集まっている。名古屋駅エリアの神社もなかなか面白い。
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