一之御前社(平郷町)

一之御前社も村瀬浄心なのか

平郷町一之御前社

読み方 いちのごぜん-しゃ(ひらごう-ちょう)
所在地 名古屋市瑞穂区平郷町5丁目13 地図
創建年 伝・1564年
旧社格・等級等 無格社・十二等級
祭神 大伴武日命(おおとものたけひのみこと)
日本武命(やまとたけるのみこと)
アクセス 地下鉄桜通線「瑞穂区役所駅」から徒歩約17分
駐車場 なし
その他 例祭 10月14日
オススメ度

 戦国時代の1564年に、高田城(地図)の城主だった村瀬浄心が創建した6社のうちのひとつとされる。
『尾張志』(1844年)にはこうある。
「八剱ノ社 熱田ノ社 一之御前ノ社 八幡社 富士ノ社 八幡ノ社 高田村にあり 永禄七甲子年当村城主村瀬浄心勧請せし由元禄七年甲戌五月の棟札にあり」
 創建の永禄七年は1564年で、棟札の元禄七年は1694年に当たる。
 これは事実なのだろうか? 村瀬浄心とは一体何者なのか?

 村瀬浄心という名前が出てくるのは『尾張志』や『尾張名所図会』(1844年)などで、それ以外にどれだけ記録が残っているのかは分からない。名の通った人物ではなかったようだけど、城主を務めるくらいの武将ではあったのだろう。
 それにしても、1564年という年に一気に6社も神社を建てられただろうか。鳥居や社殿を持たない小さな祠程度なら可能だろうけど、そこまでいろいろな神社を建てる必然がどこにあったのか。
 江戸時代後期の天保十二年(1841年)に描かれた高田村の絵図を見ると、高田城があった場所は田んぼになっていて字城ノ内となっている。
 城跡から見て北西に八劔宮と熱田大明神があり、南西に八幡宮、南東に一之御前社、その東に八幡宮が描かれている。
 このとき富士社はすでに南西の八幡宮に合祀されている。
 つまり、高田城の北西から南東にかけて6つの神社がぐるりと取り囲むようにあったということだ。
 村瀬浄心がどういう人で何を考えていたかは分からないけど、もし本当にこの6社をひとりで創建したのであれば、非常にユニークで興味深い人物ということになる。
 1564年という時期を考えると、1560年に桶狭間の戦いで信長が今川に勝利し、1563年に信長は清須城から小牧山城へと移っている。
 高田城の村瀬浄心は隣村の御器所城の佐久間氏に滅ぼされたというから、反織田勢力の独立土豪だったと考えていいだろうか。
 ただ、この地は熱田社(尾張氏)との関わりが深く、村瀬浄心が熱田大明神や一之御前社、八劔社を勧請したとすれば、実際はそれほど単純な構図ではなかったかもしれない。
 信長は1567年に美濃国を攻め落として稲葉山城へ移っているから、村瀬浄心が佐久間氏に敗れたのは1564年から1567年にかけてあたりだっただろうか。

 現在の一之御前神社の祭神は、大伴武日命(おおとものたけひのみこと)と日本武命(やまとたけるのみこと)となっている。
 村瀬浄心が熱田社の摂社である一之御前社から勧請したでのであれば、もともと祭神は大伴武日命だったと思われる。
 熱田大明神を勧請したのも村瀬浄心とすれば、その両社にははっきりとした違いがあったということだ。戦国時代の熱田大明神はイコール・ヤマトタケルではなかっただろうけど、戦国武将は草薙剣のことをどう捉えていたのだろう。
 現在の熱田神宮(web)では一之御前社を「いちのみさきしゃ」と読ませ、熱田大神または天照大神の荒霊(あらみたま)を祀るとしている。『熱田神宮御遷宮記』は日本武尊荒霊とする。
 それは本宮の北西の奥にあり、長らく禁足地として一般人は立ち入り禁止とされていたのだけど、2012年の12月に唐突に一般開放された。
 熱田神宮にいわせると熱田神宮の中で最も神聖な場所なのだという。
『尾張志』はこの一之御前社について、「社伝に大伴建日命を祭るといへり」とし、イチノミサキと読むのはよろしくない、中古以来の社号なのでイチノゴゼムと読むのがよろしいと書いている。
 続けて、正殿五神の第一神と思うのは間違いで、社家の一説では本社の荒霊などというけどそれは違うのではないかとする。
 もともと本社の北西に大伴建日命を祀る一之御前社があり、北東に吉備建日子命を祀る龍神社があった。
 現在は龍神社も移されて、龍神社に大伴建日命と吉備建日子命を祀っている。ともにヤマトタケルの東征に従ったとされるふたりだ。
 村瀬浄心が大伴建日命についてどういう認識だったのか、熱田大明神の神をどういうものと考えていたのかは分からない。吉備建日子命を祀らなかった理由も不明だ。

  この神社、ちょっと不思議なのは、階段を登って鳥居をくぐってすぐの正面に、参道に立ちふさがるように龍神が祀られていることだ。最初、ここが本社だと思ったら、本社はこの龍神を回り込んだ奥にあった。
 かつてどうだったかはともかく、現在はこの龍神の気が強いように感じた。
 黒龍王と白龍姫が祀られている。
 中央にやや大きな社があり、左右に小さめの社が並んでいる。それぞれの前に卵が供えられていた。
 御神体のカヤノキが傷んで大きく傾いているのは、伊勢湾台風(昭和34年)によるものだそうだ。

 熱田大明神と八剣大明神と大伴建日命。それに加えて八幡神2社と富士権現。これらで城の守りをがっちり固めてもなお、村瀬浄心は戦国の世を生き抜くことができず攻め滅ぼされてしまった。
 けれどそれらは形を変えつつも、村人たちに守られ、引き継がれて今もこうしてここにある。村瀬浄心、いいことしたよ、ありがとうと、我々は感謝すべきだろう。
 いや、それ、自分じゃないから、とあの世で言っているかもしれないけど。

 

作成日 2017.9.13(最終更新日 2019.3.26)

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

一之御前社の半分は龍神社

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