白山神社(日比津)

どっしりと落ち着きのあるしらやまさん

日比津白山神社

読み方 しらやま-じんじゃ(ひびつ)
所在地 名古屋市中村区日比津町1丁目1 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 郷社・九等級
祭神 菊理姫命(くくりひめのみこと)
アクセス 地下鉄東山線「本陣駅」から徒歩約20分
駐車場 なし
その他 例祭 10月4日
オススメ度 **

 白山神社というと、名古屋では古墳上に祀る例がけっこうある。守山区の小幡白山神社市場白山神社、中区の新栄白山神社などがそうだ。
 中村区日比津にある白山神社はどうやらそうではなさそうだ。尾張で古墳が造られた4世紀から7世紀にかけて、このあたりはまだ干潟だっただろう。周辺に古墳や遺跡はない。
 日比津(ひびつ)の地名は、土津(ひぢつ)から転じたものという説がある。古くは泥津とも表記した。字からも連想されるように、かつてこのあたりは沼地や湿地帯だった。田んぼができて集落が生まれたのはそれほど遠い昔のことではない。
 白山の読み方は「はくさん」と「しらやま」があって、どちらが正式ともいえないようになっている。日比津の白山神社は「しらやま-じんじゃ」と読ませるようだ。

『愛知縣神社名鑑』はこの神社についてこう書いている。
「創建は明かではないが、『尾張志』に白山の社村の本居神とする。元禄三年(1690年)以降の棟札十二枚ありと記す。当村開墾に際し、加賀国石川郡白山比咩神社の御分霊を勧請産土神として祭る」
 この地に移り住んだ人たちが田んぼや畑を開墾し、日々津の集落が出来て神社を建てようとなり、加賀の白山比咩神社(web)から勧請して白山神社を創建したということのようだ。

『寛文村々覚書』(1670年頃)の日比津村の項はこうなっている。
「社四ヶ所 内 白山権現 天神 諏訪明神 八幡 当村祢宜 清大夫持分 社内年貢地」
 社内が年貢地になっていることからすると、1608年の備前検地以降の創建の可能性が高い。一番古い棟札が元禄三年(1690年)というから、江戸時代前期あたりだろうか。
 同じ日比津村にあった長秋山定徳寺や大信寺は備前検除になっているので、日比津村自体が戦国時代頃にできた新しい村だったかもしれない。
 ただ、このうちの天神は『尾張国内神名帳』の土江天神(土江神社)に当たるという説があり、そうなると少なくとも平安時代までさかのぼることになる。江戸時代の天神はひどく荒廃していたというから、古くからの集落が鎌倉時代以降に寂れて人がいなくなり、そこに戦国時代あたりに再び集落が生まれたとも考えられる。

 白山比咩神社は、もともと、白山(しらやま/標高2,702m)を御神体として祀る神社だった。創祀は神話の時代にさかのぼるとされる。当初は山の麓に祭壇のようなものがあるだけだったのだろう。
 初めて社殿を建てたのは、奈良時代前期の716年という。
 続いて718年、越前の修験僧・泰澄が白山に登り、奥の宮に白山妙理大権現を祀ったとされる。これを実質的な白山開山としている。
 その後、白山比咩神は加賀国の一宮と定められ、『延喜式』神名帳(927年)にも載っている。
 平安時代になると修験の山という性格が強くなり、神仏習合が進んだ。
 鎌倉、室町期と栄えるものの、加賀の一向一揆の戦乱に巻き込まれ、社殿を失って荒廃した。その後、100年ほど荒れるに任せるような状態が続いたという。
 復活したのは戦国末期、加賀国に前田利家が入ってからのことで、天皇の命で白山比咩神社と神宮寺の白山寺を再興し、以降、江戸時代を通じて前田家が神社も寺も面倒を見ていた。
 ただ、この白山の寺社はなかなかに世俗的なところがあって、たびたび祭祀や金銭問題でもめ事を起こしている。明治の神仏分離令のときもひともんちゃくあった。

 白山の神がどういういきさつで菊理姫命(ククリヒメ)と習合したのかはよく分かっていない。
 ククリヒメは、『古事記』、『日本書紀』の本文には出てこず、『日本書紀』の一書(第十)にワンシーンだけ登場する。
 イザナギとイザナミが泉津平坂で言い合いになっているとき、どこからともなく現れて仲裁をしたと書いている。誰の子供とかそういう情報は一切ない。
 ククリの名前は「括る(くくる)」から来ているとする説がある。あるいは、菊が関係しているともいう。
 山の神という性質はなかったはずなのに、いつの間にか白山の神ということになった。
 平安時代後期の儒学者で歌人の大江匡房が『扶桑明月集』の中で書いたのが最初とされている。大江匡房が思いついたのか、そういう説があったのかは分からない。
 一般的に白山の神=ククリヒメとなったのは江戸時代に入ってからのことだ。白山信仰自体が全国区になったのも意外と遅く、その頃という。
 現在、白山比咩神社では、菊理媛神(白山比咩神)を主祭神とし、伊奘諾尊(イザナギ)、伊弉冉尊(イザナミ)も祀っている。

 古くからこの神社は歯痛を治すとされたという。どこでそういう話になったのだろう。ククリヒメと歯痛や医術といったものは結びつかない。
 境内社に、半ば独立した格好で津島神社と白山龍神社がある。
 かつてはもっと広い境内を持っていたのだろう。現在でも奥行きがあり、拝殿から一の鳥居まで100メートル以上ある。
 参道の途中を一般道が横切っているのはちょっと残念ではあるのだけど、二の鳥居から先の境内はとても空気がいい。外界とはっきり隔絶されている非日常感がある。大きな木々が作り出す光と影の風景が美しく、どっしりと落ち着いた雰囲気を生んでいる。
 ここはなかなかいい神社だった。後味がいい神社と表現したくなるような感じだ。

 

作成日 2017.5.24(最終更新日 2019.4.20)

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

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