片山神社

なんという空気感をたたえた神社なのか

片山神社拝殿

読み方 かたやま-じんじゃ
所在地 愛知県名古屋市東区芳野2-4-28 地図
創建年 伝684年(飛鳥時代後期)
社格等 式内社・郷社・七等級
祭神

主神・蔵王大権現(ざおうだいごんげん)
右神・国狭槌尊(くにさつちのみこと)
左神・安閑天皇(あんかんてんのう)

アクセス

・名鉄瀬戸線「尼ヶ坂駅」から徒歩約4分
・駐車場 なし(境内可かも)

webサイト  
オススメ度 ***

 なんて不思議な空気を持った神社だろう。
 それがこの神社を初めて訪れたときの第一印象だった。
 街中から少し入っただけなのに昼なお暗く、外界からは隔絶された感がある。まるで山奥にある奥の院のようだ。

 684年、役小角(えんのおづぬ)は、天武天皇の命を受け、三河(岡崎)に瀧山寺(たきさんじ)を開山する途中で、この地に立ち寄って片山神社を創建したという。
 飛鳥時代から奈良時代にかけて生きた呪術師の役小角は、吉野の金峯山(きんぷさん)で修行して金剛蔵王大権現と出会い、修験道の基礎を築いたとされる。
 社伝では創建は709年としている。
 江戸時代に編さんされた『尾張志』(1844年)の中では、国狭槌尊を祀る蔵王社としており、この地に住んでいた人が吉野で蔵王権現社に詣でてのち、自宅に勧請して蔵王権現を祀ったのが始まりで、でもそれは中世のことだから式内社であるはずはなく、とはいえ実際の片山神社(片山蔵王、蔵王天神とも)は古式ゆかしい神社の様相を呈しているからやっぱり『延喜式』(927年)にある片山神社はここのことなんだろうと思いつつ、近くにある大曽根八幡社も片山神社を名乗っているから、詳しい方がどちらがそうか決めてくださいよろしく、と書かれている。

 クニサツチ(国狭槌尊)は『日本書紀』の天地開びゃくのときに登場する神代七代のうちの一柱で、国土、国の土の神とされる。『古事記』の中では、大山津見神(オオヤマツミ)の子・国之狭土神(クニノサツチ)として登場する。神仏習合の信仰で蔵王権現と同一視された。
 安閑天皇もまた蔵王権現と同一の神とされ、明治の神仏分離令を受けて、それまで蔵王権現を祀っていた神社の多くが安閑天皇を祭神とした。
 安閑天皇は継体天皇の長子で、母親は尾張目子媛(おわりのめのこひめ)だ。越前からやってきて天皇になった継体に力を貸したのがこの地の尾張氏ということで、そのあたりの縁もあったと思われる。
 継体、その息子の安閑、その弟の宣化と続く時代、尾張氏は天皇家の外戚として中央に対して力を持っていた。
 祀られている祭神の顔ぶれからしても、片山神社の創建は飛鳥時代と考えてよさそうだ。
『延喜式』の中では、山田郡19座のうち、片山神社が首座となっている。

 かつては鬱蒼とした森に囲まれた神社で、境内にはご神木とされる杉の大木が あったといい、この森の中で天狗が暴れ回っていたという伝説が伝わっている。
 境内に残された大杉の切り株が天狗が腰掛けた木の名残なのだとか。
 江戸時代前期には吉野から持ってきた桜の木が植えられ、桜名所となっていたともいう。
 更に時代をさかのぼれば、縄文時代、弥生時代からこの地に人が暮らしていたとされ、数々の出土品から古墳が存在したとも考えられている。
 そういった時代が積み重なった歴史の空気といったものが、私が初めて訪れたときに感じたものだったのかもしれない。
 その後二度三度と訪ねているのだけど、最初に感じた感覚は二度と蘇ることはなかった。初めて行ったとき、たまたま天狗が遊びに来ていたのかもしれないなどと真面目に思ったりもするのだ。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

不思議な空気を持った片山神社は忘れがたい印象を残した

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