八幡社(長須賀)

不思議で印象に残る神社

長須賀八幡社

読み方 はちまん-しゃ(ながすか)
所在地 名古屋市中川区川前町170 地図
創建年 不明
社格等 村社・十三等級
祭神

日本武尊(やまとたけるのみこと)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
磐長姫命(いわながひめのみこと)
竹内宿祢(たけうちのすくね)
誉田別尊(ほむだわけのみこと)
足仲彦命(たらしなかつひこのみこと)
大鷦鷯命(おほさざきのみこと/仁徳天皇)
大名持命(おおなもちのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと)

アクセス

・JR関西本線「春田駅」から徒歩約28分
・近鉄名古屋線「伏屋駅」から徒歩約12分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 不思議な神社だ。こんな神社は見たことがない。
 交通量の多い交差点近くにありながら周囲をほとんど囲っていないため、神社が持っているはずの気といったものがまるで保たれていない。境内を風が吹き抜けている。この上なく開けっぴろげで、晒され感がすごい。うちは隠し立てするものは一切ありませんよと主張するかのようだ。
 しかしながらというかだからというべきか、社殿はびっちりふさいでいて外からは一切うかがい知れないようになっている。境内とは対照的に人を寄せ付けない。
 全面板張りというのか変わった建築で、ほとんど隙間といったものがない。拝殿と本殿は連結されており、連結部も完全にふさがっている。
 これじゃあ中で神様は息苦しいんじゃないかと思った。風が通らないので、冬は暖かそうだけど夏は暑いだろう。中に入っている神様の数も多い。
 いろいろ神社を見てきたけど、斬新さという点では他に類を見ないオリジナリティがある。
 新しい神社かといえばそうではなく、棟札や『尾張志』などからも江戸時代前期にはすでにあったことが分かる。

 地形的にいうと、庄内川の河口に近い右岸に位置しており、かつては低湿地帯だった。
 ただ、平安時代初期には開発が始まったというから歴史は古い。11世紀末には富田荘(とみたのしょう)が成立して、近衛家の荘園だったようだ(一部は綾小路家)。
 鎌倉時代後期の1327年の地図には長塚村の集落に八幡社は描かれていない。創建は室町時代以降ということになるだろう。
『尾張国地名考』の中で津田正生は、「長須賀村 長き砂処(すか)の處(ところ)なり」と書いている。
 庄内川が運んできた土砂によってできた土地という意味だろう。

 変わっているもうひとつの点は祭神の多さと顔ぶれだ。
 八幡社といいながら関係のない祭神が集められている。もともと八幡社として創建されたのかどうかもなんともいえない。由緒書きに長須賀神社建設委員とあるから、長須賀神社と称していた時代もあったのだろうか。
 誉田別尊(応神天皇)と息長足姫命(神功皇后)、大鷦鷯命(仁徳天皇)は八幡社関係の神だけど、日本武尊(ヤマトタケル)と足仲彦命(仲哀天皇)親子はどこから来ているのだろう。熱田神宮関係なのか別のところなのか。
 大名持命(大国主)と事代主命のセットは出雲の神で、名古屋ではあまり祀られているところは多くない。熱田神宮の境内摂社・上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)の末社で祀られているから、その関係の可能性はあるだろうか。
 神社の由緒書きに「竹内大臣」とあって、誰だ、竹内大臣って、と思ったら、武内宿禰(たけうちのすくね)のことだった。
 これもどういう経緯で祀られることになったのか分からない。

 一番不思議なのは、この中に磐長姫命(イワナガヒメ)が入っていることだ。
 オオヤマツミ(大山祇神 )の娘でコノハナサクヤヒメ(木花開耶姫 )の姉に当たる。
 天孫のニニギ( 瓊々杵尊)に妹のコノハナサクヤヒメと一緒に嫁ぐことになるも、美しい妹と違って醜かったためニニギに突き返されてしまう。
 イワナガ(磐長)は長寿の象徴なのに、それを拒否した天孫族は寿命が短くなるだろうと父親のオオヤマツミは怒ったのだった。
 その後、イワナガヒメがどうなったのかは描かれていない。
 全国の浅間神社でコノハナサクヤヒメとセットで祀られることはあっても単独で祀っているところは少ない。静岡県松崎町の雲見浅間神社や、静岡県伊東市の浅間神社、岐阜県岐阜市の伊豆神社などがそうなので、伊豆と関係がありそうだ。
 名古屋でイワナガヒメを祀るところはごく少ないのではないかと思う。まだ行っていない神社の祭神になっているかもしれないので、今後注意しておくことにしたい。

 オマケの不思議として、拝殿横に斎宮社と秋葉社の社号標があるのに社のたぐいがまったくない点も付け加えておきたい。これって一体どういうことだろうとしばらく考えてしまった。本殿の中に収まっているのだろうかと。
『愛知縣神社名鑑』に答えが載っていた。
昭和29年に、秋葉社(字屋敷737番地)、斎宮社(字屋敷754番地)を合併して飛び地境内社とした」
 なるほどそういうことかと一応は納得したけど、何の説明もなしに何もないところに社号標だけあっても参拝に来た人は何のことか分からない。
 字屋敷は町名変更で長須賀2丁目になった。その長須賀2丁目は八幡社がある地区で、その中のどこかに飛地境内があるらしい。mapionなどには出ていないから、現地で人に訊ねるなりして見つけるしかない。

 富田地区には現在も多くの神楽(カグラ)が現存しているという。
 熱田区、中川区、中村区、港区などの名古屋南西部の新田地区に、かつては140基以上のカグラがあったようだ。
 古くは獅子舞の頭の部分を祠に安置して移動させるものだったのが、のちに獅子屋形、獅子神楽屋形と呼ばれるようになり、いつしかカグラ(神楽)となっていった。
 第二次大戦の空襲と伊勢湾台風で多くが失われるも、現在でも70基以上のカグラが保存されているという。ただし、祭礼などで使われるものは稀だそうだ。
 長須賀にもカグラが保存されており、牛若丸と弁慶や源平合戦の彫り物が施されたものだという。
 これも平成12年(2000年)の八幡社移転の式典で出されて以降、倉庫に眠ったままになっているらしい。

 いろいろな不思議があった長須賀八幡社だけど、印象に残るということはいいことだ。そういう神社との出会いを私自身も楽しみにしている。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

一風変わった長須賀の八幡社は一見の価値あり

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