大聖院の鎮守社なのだろう | |
読み方 | いなり-しゃ(かみおたい) |
所在地 | 名古屋市西区上小田井1丁目 地図 |
創建年 | 不明 |
旧社格・等級等 | 不明 |
祭神 | 不明 |
アクセス | 地下鉄鶴舞線「庄内緑地公園駅」から徒歩約10分 駐車場 なし |
その他 | |
オススメ度 | * |
大聖院の隣にあって、境内裏手が小さな墓地になっているから、大聖院の鎮守社なのだと思う。 大聖院について『尾張徇行記』はこう書いている。 『尾張志』も同じような説明をした後、追記で、信張は祖父、父ともに小田井の城主で、天正15年に肥後の八代の城を秀吉に与えられたのだけど辞退して、近江の大津で死去した。この子の信直は小田井城にあって、信長の聟となり、津田を名乗った。これが津田太郎左門寛饒の先祖だ、といったようなことを書いている。 1670年頃まとめられた『寛文村々覚書』を見ると、「大法坊 真言宗 長野村万徳寺末寺 寺内壱反弐畝五歩 備前検除」となっており、当初は大法坊だったことが分かる。 ここでもまた小田井城主の織田信張の名前が出てくる。信心深い人だったのか、この辺り一帯の神社や寺に多く関わったようだ。 大法坊(大聖院)を建てたのはどうやら信張のようだけど、稲荷社をいつ誰が建てたのかは分からずじまいだ。ちょっと予想のしようもない。 作成日 2018.3.29(最終更新日 2018.12.19) | |
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