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稲荷社(上小田井)


大聖院の鎮守社なのだろう



上小田井稲荷社

読み方いなり-しゃ(かみおたい)
所在地名古屋市西区上小田井1丁目 地図
創建年不明
旧社格・等級等不明
祭神不明
アクセス地下鉄鶴舞線「庄内緑地公園駅」から徒歩約10分
駐車場 なし
その他 
オススメ度

 大聖院の隣にあって、境内裏手が小さな墓地になっているから、大聖院の鎮守社なのだと思う。
 大聖院(真言宗豊山派)は戦国時代からあった寺なのだけど、稲荷社がその頃からあったかどうかは分からない。明治の神仏分離令で独立させたということも考えられるのだけど、現状はほぼ一体化している。
 2016年まではあった入り口の鳥居が根元から折れてなくなっている。なので、最初稲荷社と気づかなかったくらいだ。
 拝殿もつっかえ棒をしているものの、けっこう危うい感じになっている。
 大聖院の方は門が閉じていて入れなかった。



 大聖院について『尾張徇行記』はこう書いている。
「大聖院界内一反二畝五歩備前検地除 府志曰、在上小田井村、古号大法坊、属長野万徳寺、天文十八己酉年、織田又六平信張創建之 当寺書上ニ、界内四反四畝廿四歩内二反七畝四歩前々除、一反二畝五歩備前検除、五畝十五歩門外年貢地、元禄六酉年大聖院ト改ム」



『尾張志』も同じような説明をした後、追記で、信張は祖父、父ともに小田井の城主で、天正15年に肥後の八代の城を秀吉に与えられたのだけど辞退して、近江の大津で死去した。この子の信直は小田井城にあって、信長の聟となり、津田を名乗った。これが津田太郎左門寛饒の先祖だ、といったようなことを書いている。



 1670年頃まとめられた『寛文村々覚書』を見ると、「大法坊 真言宗 長野村万徳寺末寺 寺内壱反弐畝五歩 備前検除」となっており、当初は大法坊だったことが分かる。
 大聖院と改称した元禄6年は1693年だ。



 ここでもまた小田井城主の織田信張の名前が出てくる。信心深い人だったのか、この辺り一帯の神社や寺に多く関わったようだ。
 大法坊(大聖院)は、小田井城内にあった護持仏堂の地蔵菩薩像を祀って建てたとされる。天文十八とあるから、1549年だ。
 上小田井の諏訪社を建てたのも信張とされ、五所社に辨財天を建てたのは寛維と『尾張名所図会』などは書いているけど、年代的にいうと信張が寄進した可能性が高そうだ。
 小田井城や織田家については諏訪社や五所社のところで書いた。



 大法坊(大聖院)を建てたのはどうやら信張のようだけど、稲荷社をいつ誰が建てたのかは分からずじまいだ。ちょっと予想のしようもない。
 今の大聖院は一般に開かれている感じがないので、調査はここで行き止まりということになりそうだ。




作成日 2018.3.29(最終更新日 2018.12.19)


ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

偶然見つけた上小田井の稲荷社

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