神社のある船見町は昭和3年(1928年)に造成された八号地と呼ばれる埋め立て地で、神社の創建はそれ以降のことに違いない。 情報がまったく得られず、詳細は不明だ。 神徳の読み方も「しんとく」でいいのかどうか分からない。神の徳とはまた大胆な名前をつけたものだ。 社の千木は内削ぎ、鰹木六本の神明造だからアマテラスを祀る神明社系かもしれない。もしくは、港区の新しい神社に多い熱田系という可能性もある。
名古屋の海の玄関口は長らく熱田湊だった。しかし、熱田沖の海は遠浅で大きな船が入港できないということで、熱田の先の干拓地を更に埋め立てて名古屋港を作ることになった。完成したのは明治40年(1907年)のことだ。 熱田新田が作られたのは江戸時代前半で、尾張藩初代藩主の義直の命で1646年に始まり、1649年に完成した。熱田の堀川筋から西の庄内川までの広い範囲を干拓によって土地化して、そこを新田とした。そのあたりのことについては熱田区や中川区の神社のページに書いた。番割神社も現存している。 熱田沖の干拓事業は江戸期を通じて藩と民間とあわせて行われ、名古屋の土地は南へ南へと拡大していった。明治から昭和にかけては更に埋め立てによって土地が広がっていった。港区は江戸時代以前は全域が海だったところなので、基本的にそれ以前の神社はない。
神徳神社がある船見町は昭和3年の第4期名古屋港拡張工事によって誕生した。翌昭和4年に南区船見町が成立。 町名は船がよく見えるからという理由で名づけられた。 ほぼ工場地帯で民家は少ない。2010年の調査では28世帯44人が暮らしていたようで、今は更に減っているかもしれない。 かつては大きな貯木場があった。これがあったことで昭和34年(1959年)の伊勢湾台風では大きな被害を出すことになった。 昭和12年(1937年)に港区ができると港区に編入。 昭和63年(1988年)まで埋め立て地の編入を重ねて少しずつ広くなっていった。 船見町の南西には潮見町がある。第3期名古屋港拡張工事九号地として造成された人工島で、昭和6年(1931年)に南区潮見町が成立した。港を見渡せる町ということで名づけられたという。 昭和前期までは天白川沿いの浜に千鳥ヶ浜海水浴場があった。昭和30年代になって消滅した。 潮見町には名古屋市内にある唯一の発電所である新名古屋火力発電所がある。昭和34年(1959年)に石炭火力発電所として運用が開始され、現在は主に天然ガス火力発電所として名古屋市内の電力の多くをまかなっている。 その中部電力が運営するのが名古屋港ワイルドフラワーガーデン ブルーボネット(web)で、発電によって生み出された熱を利用したワイルドフラワーの植物園となっている。 潮見町の突端まで行くと目の前に東海市の新日鉄住金工場の工場がどんと現れる。なかなかの迫力で夜景もきれいだ。名港トリトンも間近に見ることができる他、名港潮見ジャンクションもあり、名古屋の隠れ撮影スポットとしておすすめしたい。 潮見から見る東海市の新日鉄住金工場夜景は名古屋の隠れ名所(ブログ記事) 残念ながら潮見町に神社はない。
今昔マップを見ると1932年(昭和7年)の時点で現在の潮見町の一部が陸地化されて中央部分は貯木場だったことが分かる。 1937-1938年(昭和13年)以降の地図には鉄道の線路が描かれている。これは愛知県営の貨物専用鉄道として開業したもので、当初は6号地と8号地(船見町駅)を結んでいた。 昭和16年(1941年)に名古屋鉄道に運転を委託し、昭和24年には8号地と9号地(潮見町駅)まで延びた。 昭和40年(1965年)に名古屋臨海鉄道の路線となるも、現在は列車は走っていない。ただ、廃線になったわけではないようだ。
神徳神社がいつ建てられたのかは分からない。町とはいってもいわゆる住宅地として誕生したわけではないので、誰が誰のために建てたのかもよく分からない。貯木場と関係があるのかないのか。 もしかすると、伊勢湾台風の後に鎮魂の意味もあって建てられたものかもしれない。
作成日 2018.6.25(最終更新日 2019.7.17)
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