豊藤稲荷神社

一風変わった稲荷神社

豊藤稲荷神社入り口

読み方 とよふじ-いなり-じんじゃ
所在地 名古屋市緑区作の山町180 地図
創建年 1851年(江戸時代末)
社格等 十二等級
祭神

倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
猿田彦命(さるたひこのみこと)
大国主命(おおくにぬしのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと)

 アクセス

・名鉄名古屋本線「鳴海駅」から徒歩約30分
・駐車場 あり(無料)

webサイト  
オススメ度

 ちょっと捉えどころのない変わった稲荷神社だ。
 独立した稲荷神社が少ない名古屋にあって、規模でいうと守山区の生玉稲荷神社と、この緑区の豊藤稲荷神社が大きな稲荷神社ということになる。
 創建は江戸時代末期の1851年で、山城国伏見稲荷神社(伏見稲荷大社)から勧請したという。
 ただし、奉斎が始まったのは和銅年間(708年-715年)という話がある。
『愛知縣神社名鑑』の「特殊な稲荷信仰に支えられ」という記述が気になるところだ。
 現在の主祭神はウカノミタマ(倉稲魂命)となっているけど、本来は豊藤大明神を祀っていたという。神道よりも仏教寄りの稲荷社ということだろう。
 拝殿前にはキツネではなく普通の神社のように狛犬が置かれているのも、ちょっと不思議な感じがする。
 祭神の顔ぶれも稲荷社としては変わっていて、サルタヒコ、オオクニヌシ、コトシロヌシとなっている。これらの神が祀られるようになった経緯はよく分からない。

 神社は小高い山の上にあって、鳥居から南方面を眺めると眼下に街並みが広がっている。
 現在の町名は作の山町で、かつては朝日山と呼ばれていた。
 桶狭間の戦いのとき、信長軍はこの朝日山の麓に集結したという言い伝えが残っている。すぐ南には善照寺砦と中島砦があって、その進軍ルートに近いから、実際なくはない話だ。進軍途中に砦の中にわざわざ二千もの兵を入れる意味はなく、適当な広場があればそこに集まったという方が自然だ。
 少し北にある新海池(にいのみいけ)は江戸時代前期の1634年に農業用の溜め池として作られたものだ。近年、公園として整備された。
 朝日山周辺は戦前までは完全な農村地帯で、見渡す限り田んぼと畑しかなかったという。神社は森の中にある離れた一軒家のような様相だったとか。戦後になって開発が進み、今ではすっかり町になっている。
 明治18年、火災により社殿を焼失。
 翌明治19年に再建。
 大正14年、公認許可。
 昭和6年、社殿改築。
 昭和34年の伊勢湾台風で社殿が大きな被害を受ける。その後の台風により社殿倒壊。
 このままではいけないと宮司が俄然やる気を出し、あちこち駆け回って資金を集め、現在の立派な社殿を建てたのだとか。宮司さんは現在80代後半ということだけどまだまだお元気なようだ。

 名前にもなっている豊藤大明神の豊藤とは何なのだろう?
 拝殿脇にある奥の院に続く鳥居前に一本の山藤がある。曲がりくねった幹の様子が龍に似ているということで、ふじ龍と呼ばれているそうだ。植えたものではなく、このあたりが雑木林だった頃からの自生なのだとか。
 豊藤の名前がこの藤の木に関係があるのかどうかは分からない。今の季節、紫の花を咲かせているんじゃないだろうか。

 境内社もちょっと変わっていて、水神社と天宇受賣社が並んでいる。
 水神社では高龗神(たかおかみのかみ)を祀っている。『古事記』では淤加美神(おかみのかみ)と表記される。
 京都の貴船神社の祭神が高龗神だから、そこから勧請したのだろうか。
 水の神であり、闇龗神(くらおかみのかみ)とは同一神、もしくは対の神とされ、龗神(おかみのかみ)はその総称ともいう。
『古事記』と『日本書紀』ではいろいろ違いがあるのだけど、イザナギがカグツチを斬ったときに生じた神とされる。
『古事記』でいうと、オオクニヌシは龗神の孫ということになる。
 天宇受賣社ではアメノウズメ(天宇受賣命/天鈿女命)を祀る。
 天孫降臨の際にニニギに従ったひとりで、アマテラスの天の岩戸隠れのときに踊り、サルタヒコの妻になったとされる女神だ。
 奥藤社では神狐の道祖神が祀られていたり、白蛇社があったりで、なかなかのワンダーランドとなっている。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

豊藤稲荷神社は稲荷社らしからぬ軽さ

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