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洲嵜秋葉神社

小さな神社は持ちつ持たれつ

洲嵜秋葉神社

読み方 すざき-あきば-じんじゃ
所在地 名古屋市中区大須1丁目5 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 不明
祭神 軻遇突智命(かぐつちのみこと)
アクセス 地下鉄鶴舞線「大須観音駅」4番出口から徒歩約7分
駐車場 なし
その他  
オススメ度

 若宮大通に面した南側にある小さな神社。
 日出神社と同じ並びの450メートルほど西に位置している。
 若宮大通は戦後に拡張されているから旧地はもう少し北西の洲嵜神社に近いところにあったのかもしれない。
 現在地は大須1丁目にもかかわらず、社号標も地図上でも洲嵜秋葉神社となっている。
 大須も空襲の被害にあって多くが焼けている。この神社はどうだったのだろう。

 境内に石碑がある。
「戦後復興都市計画事業による百米道路建設に伴い此の地に鎮座
 昭和三十七年七月七日」
 100米道路というのは若宮大通のことで、久屋大通とともに名古屋には2本の100メートル道路がある。
 戦後復興の目玉事業として全国で16路線が計画されるも、過度な復興事業はよろしくないというGHQの横やりが入り、結局実現したのは名古屋の2本と広島の平和大通りのあわせて3路線だけだった。
 若宮大通はそれまでの幅23メートルから一気に100メートルに拡張させるということで、道路沿いにあった家屋や建物を大移動させることになった。この秋葉神社も、その移動組のひとつだった。
 ちなみに、若宮大通の名称は、沿線にある若宮八幡社にちなんで名付けられた。
 完成後しばらくは100メートル道路や矢場町線と呼ばれていたようだ。
 その他の候補として、中京通、中央通、名城通、高砂通、寿通などがあったという。
 もう一本の100メートル道路の久屋大通の名称は、久屋町から来ている。この町名は、尾張藩初代藩主の義直が久しく繁栄するようにと名付けたとされている。

 創建のいきさつについては情報がまったくないため知ることができない。江戸時代に村人が秋葉権現を祀ったのが始まりだろうか。
 祭神はカグツチだと思う。
 現在は町内の人か氏子さんがお世話をしているのだろう。本社前にお供えがしてあった。
 お盆の上に、ナス、ダイコン、ニンジン、リンゴ、干しシイタケと、あともう一種は昆布だっただろうか、それらが載せられていた。1円玉もお盆にあったから誰かが参ったのかもしれない。
 ちゃんとこうしてお世話をしている人がいるということは安心するし、誰も見てなくてもそれらを持っていく人がいないというのも日本のいいところだなと思うのだった。

 

作成日 2017.8.2(最終更新日 2019.3.8)

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

若宮大通沿いの小さな洲嵜秋葉神社

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