津賀田神社

若宮に誰が誰を祀ったのか

津賀田神社

読み方 つがた-じんじゃ
所在地 名古屋市瑞穂区津賀田町3丁目4 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 郷社・八等級
祭神 仁徳天皇(にんとくてんのう)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
アクセス 地下鉄桜通線「瑞穂運動場西駅」から徒歩約12分
駐車場 なし(普段は閉じている)
その他 例祭 10月15日
オススメ度

 この神社はもともと若宮で、古墳の被葬者、もしくは塚に葬った人間を祀るために建てられた神社ではないだろうか。かつては墓田と表記していたことからもそれがうかがえる。

『愛知縣神社名鑑』はこの神社についてこう書いている。
「創建は明かではない。古くは若宮八幡とも井戸田八幡と称した。『鶴岡八幡宮記録』に建久二年(1191)12月15日、源頼朝が勧請し供僧勝圓が奉仕すと、『尾張名所記』に右大将源頼朝の産宮とし給うなり、と又亀井六郎重清は此地に産れた。頼朝の孫重清を当社の神主とせり、享保の頃(1716-1735)の神主は亀井氏なり、この地に清水あり、亀井の清水という。『国内神名帳』の従三位津賀田天神とある。明治5年5月郷社に列格し、明治40年10月26日、供進指定社となる。明治41年10月17日浜神明社を合祀す。大正2年4月8日、神明社を合霊する」

 まず読み方と表記なのだけど、幾通りかあって一定しない。
 神社本庁への登録は、津賀田として「つがた」と読ませている。
『瑞穂区誌』は津賀田を「つかた」と濁らずフリガナを振っている。
 平安時代末頃に成立したとされる『尾張国内神名帳』では、写本によって違いがあり、墓田天神として「つかた」としていたり、「津賀田」としたりしている。
『尾張志』(1844年)では墓田天神社として「つかだ」とフリガナを振り、『尾張名所図会』(1844年)では津賀田社(つかたのやしろ)と濁らず、絵には塚田神社とある。
 このように、江戸期に至っても表記と読み方が定まっていなかったようだ。
 共通しているのは、「墓」、「塚」という字が当てられているということで、どちらもお墓を意味する言葉だ。
 津賀田を「つがた」と読むと仮定するなら、津潟から転じたという考え方もできる。このあたりは瑞穂台地の南端で、古くはすぐ南が海だった。
 古墳や塚が多い土地という特徴もある。
 周囲にはたくさんの古墳があったことが分かっており、弥生時代もしくはそれ以前から人が暮らす土地だった。正式な調査は行われていないものの、津賀田神社も前方後円墳の上に乗っているともいわれる。
 何々塚と呼ばれるものも多い。蛇塚や剣塚、師高塚、仙人塚など、伝承や地名として残っている。
 師高塚というのは藤原師高(ふじわらのもろたか)のものとされるもので、平安時代後期の1177年に比叡山末寺の白山涌泉寺と紛争を起こした責任を取らされて尾張国の井戸田に流罪となり、この地で討たれたといわれる。
 兄弟の師平・師親の塚とされるものも『尾張名所図会』に描かれている。
 その藤原師高兄弟に続いて藤原師長(ふじわらのもろなが)も井戸田に流されてきた。1179年の治承三年の政変で平清盛に敗れ、尾張国に流罪となった。
 藤原師長は当時、太政大臣という高い地位についていた大物だ。その流罪先として選ばれたのが尾張国井戸田であったということは何か意味があったに違いない。
 師長は翌1180年に許されて京に戻るのだけど、一日も早く戻れるように津賀田神社(墓田神社)に願掛けに訪れていたという話も伝わっている。

 平安時代末成立とされる『国内神名帳』に載っていることや、師長のエピソードからして、平安時代にはすでに神社はあったと考えていいと思う。
 問題はどこまでさかのぼれるかだ。
 古い時代に若宮と呼ばれていたのは間違いない。津賀田神社の神宮寺だった亀井山龍泉寺(りょうせんじ)に大般若経の古い写本(1374年奉納)が600巻伝わっており(現存は一部のみ)、その奥書きに井戸田郷若宮とあることから、少なくとも室町時代(南北朝時代)にはそう呼ばれていたことが分かる。
 そのあたりのことを『尾張志』や『尾張名所図会』でも書いている。
 今(江戸時代後期)は若宮八幡や八幡と称しているけど、もともとは若宮と呼んでいた神社で、鎌倉以降に八幡神が流行って、若宮といえば若宮八幡だろうということで若宮八幡になってしまったと説明する。
 さらに源頼朝が井戸田村の片垂(かただり)というところの生まれで、龍泉寺門前にあった名水と名高い亀井水を産湯に使ったという言い伝えも紹介している。
 ただし、頼朝は熱田大宮司藤原季範の娘で、熱田の旗屋村にあった誓願尼寺で生まれたという話もあってはっきりしないとする。
『尾張名所図会』では、鎌倉の鶴岡八幡宮(web)はこの若宮(津賀田神社)から勧請して建てたなどという話も書いている。ただ、『東鑑』にはそんなことは書かれていないから実際のところは不明としている。

 若宮というのは、親神を祀る神社に対してその子供の神を祀ることでそう呼ばれるようになったというのがひとつある。八幡社の神が応神天皇だから、若宮八幡ではその子供の仁徳天皇を祀るというのがそうだ。津賀田神社の祭神もそうなっている(アマテラスを祀っているのは明治41年に濱神明社を合祀したため)。
 それとは別に、皇族の幼い皇子を若宮と呼ぶこともある。
 そうではなく、不慮の死を遂げた人間の祟りを恐れて祀った宮も若宮という。平安時代以降に建てられた古い若宮はその例が多いとされる。
 若宮が前方後円墳の上に建てられていて、周囲は古墳や塚がたくさんあるとなれば、やはりここは古墳か塚に眠る人間を祀った社として出発したと考えるのが自然ではないだろうか。
 古墳はおそらく5世紀から6世紀にかけてのものだろうけど、平安時代の人たちがその被葬者を知っていたかどうか。
 あるいは平安時代に死去した人間を祀るために建てたか。
 尾張の『国内神名帳』に載るとはいえ、『延喜式』神名帳(927年)には載っていない。927年当時に存在していたとしても、官社としては認められていなかったということだ。
 名古屋総鎮守の若宮八幡社も天武天皇期(673-686年)または大宝年間(701-704年)創建とされる古い社でありながら『延喜式』神名帳には載っていない。この栄の若宮と井戸田の若宮は関係があるのではないかという指摘もある。現在は栄にある若宮八幡社は、もともと那古野台地北端の名古屋城が建っている場所にあった。
 瑞穂台地の古墳の被葬者についてはよく分からない。尾張氏とどの程度関係があったのか。尾張氏の古い本拠地だったという考えもあるようだけど、それもなくはない。
 頼朝が井戸田で生まれて、鎌倉に政権を置くとなったとき、生まれ故郷の若宮を移して祀ったということもまったくあり得ない話ではない。
 熱田大宮司の娘が母で、母の実家で子供を産むことは当時よくあったことだ。熱田社近くではなく少し離れた井戸田生まれという話が出るのは、井戸田の亀井家と縁があったためとされる。
 頼朝にとって井戸田の墓田若宮が産土神だったとすれば、それを鎌倉に移すことは自然なことといえる。
 あまり知られていないことだけど、鎌倉の鶴岡八幡宮ももともとは若宮だった。一般的には源頼義が1063年に建てた由比若宮を、頼朝が鶴岡に移したのが鶴岡八幡宮とされている。
 墓田神社に八幡神を勧請したのは1191年(建久2年)と『瑞穂区の歴史』は書いている。頼朝が鎌倉幕府を開いた1192年の前年だ。
 龍泉寺の縁起に、山城国(京都)の石清水八幡宮(web)から勧請したとある。
 1191年というと、鎌倉の鶴岡若宮が焼けて、あらたに本宮(上宮)を建て、若宮を下宮とする二宮体制になった年だ。ひょっとすると、井戸田の墓田神社に八幡を勧請したことはそれと連動しているのではないか。
 鶴岡八幡もこの年に石清水八幡宮護国寺を勧請している。

 津賀田神社が社蔵していた大般若経600巻について『愛知縣神社名鑑』は、源義経、弁慶、伊勢三郎、武家大名の写経といっている。
 大部分が第二次大戦の空襲で焼けてしまい、そのうちの10巻が名古屋市の指定文化財になっている。
 義経、弁慶が実際に写経したものかどうかはともかく、現存する古いものでは寿永2年(1183年)のものがある。義経、弁慶ともに生きている時代だ。

 このように非常に古くて複雑な歴史を秘めている神社だ。何層にも重なっていて本体は見えづらい。若宮すら途中の姿にすぎないかもしれない。
 古墳をはじめとして多くの塚(墓)がこの地に築かれたことはたまたまではない。周辺からは縄文時代以降の多くの遺跡が見つかっていることからしても、古くから人が暮らしていた土地だったことが分かっている。その中でも何か墓といったものがつきまとうのが井戸田というところだ。中央から要人がこの地に流されてきたということからしても何かあったのだろう。

 個人的な印象として、なんだか寂しい神社だと思った。
 境内は広く、社殿も立派なのに、ひと気が少なく、妙に寂しい感じがする。静かに鎮まっているというのとは違うしんとした空気に満ちている。こんなにもの悲しい感じがする神社を他に知らない。
 どこか人を寄せ付けない雰囲気も漂わせている。
 人が集まる神社だけがいい神社とはいえないのだけど、ひどくもったいないように思えた。
 本来の若宮で祀られているのは誰なのか。知ってほしいと思っているのか、そっとしておいてほしいと思っているのか。
 静かな嘆きの声が微かに聞こえたような気がしたのは気のせいだろうか。

 

作成日 2017.9.19(最終更新日 2019.3.27)

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