津島社(中郷)

中郷にあった天王社の生き残りか

中郷津島社

読み方 つしま-しゃ(ちゅうごう)
所在地 名古屋市中川区中郷5丁目146 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 無格社・十五等級
祭神 須佐之男命(すさのおのみこと)
アクセス あおなみ線「南荒子駅」から徒歩約23分
駐車場 なし
その他 例祭 10月11日
オススメ度

 ここは江戸時代の中郷村(ちゅうごうむら)だったところだ。
『愛知縣神社名鑑』はこの神社についてこう書いている。
「創建は明かではない。荒子村中郷の天王社として崇敬あつく明治6年据置公許となる。昭和49年本殿遷座祭を斎行した」

 中郷村について津田正生は『尾張国地名考』の中で、御厨(みくり)があったことから厨郷(ちゅうごう)と呼んでいたものが中郷に変化したと書いている。
 ここでいう御厨(みくりや)は、平安時代中期の延喜年間(901-923年)に成立した伊勢の神宮(web)の荘園、一楊御厨(いちやなぎのみ くりや)のことだ。烏森、治田(八田)、荒子、高畑、萬町、野田、厨郷(中郷)あたりがあらたに開かれ、伊勢の神宮の荘園になった。
 鎌倉時代以降にそれぞれの集落が独立して村になったとされる。戦国時代は武家の領地になっていった。
 そういった流れを受けてこのあたりは神明社が多い。
 天王社は疫病除けの神として江戸時代に流行ったから、ここらへんでも多くの天王社が建てられたはずなのだけど中郷村の津島社くらいしか残らなかった。

 江戸時代の書の中郷村の項を見てもこの津島社に相当するような神社は載っていない。

『寛文村々覚書』(1670年頃)
「神明 社内壱反歩 前々除 当村祢宜 孫大夫持分」

『尾張徇行記』(1822年)
【当村祠官高羽氏書上張ニ、三狐神社内一畝御除地、此社草創ハ知レズ、再建ハ寛永廿一年ナリ 御山戸無社松三本アリ境内一畝余御除地 野田村地内雨宮社内一反八畝御除地、末社白山冨士 中島新田地内風宮社内一反五畝御除地、此二社草創ハ知レズ、再建ハ寛永廿一申年也」

『尾張志』
「雨ノ宮ノ社 天照大御神高龗神を祭れり末社に白山社富士社あり神人高羽馬之助
 風ノ宮ノ社 中島新田の地内にあり天照大御神級長戸邊ノ命長津彦ノ命を祭ると云
 社宮司ノ社 雨ノ宮ノ社より東の方寺前といふ所にあり
 御山戸ノ社廃址 境内古松三株あり」

 今昔マップ(1888-1898年)を見ると中郷村は北と南に集落が分かれていたことが分かる。津島社がある5丁目は南集落で、2丁目あたりにあった集落が中郷村の中心だった。
 中郷2丁目の雨宮社が『尾張志』などにある雨宮社で、風宮社も境内に移されている。雨宮ももともとは野田村の地内にあったものを1819年に移している。
『尾張徇行記』にある三狐神と『尾張志』の社宮司社は同じものだと思うのだけど、現在の宝珠院(地図)にあったかもしれない。今昔マップでは1973年の地図まで宝珠院の卍マークに並んで鳥居マークが描かれている。
 宝珠院は神護景雲年中(767-770年)に泰澄が開いたとされる常楽寺の塔頭の生き残りで、歴史は古い。
 社宮司(三狐神)は現在雨宮社の境内社・猿田彦社がそうだろうか。
 いずれにしても津島社(天王社)の情報は江戸時代の書からは得られない。

『愛知縣神社名鑑』に「昭和49年本殿遷座祭を斎行した」とあるから、現在の社殿などはそのとき建てられたものだろう。
 鳥居や拝殿を赤く塗ったのもそのときだろうか。本家の津島神社(web)も鳥居や社殿は朱塗りだからそれにならったのだろうけど、赤色の発注をちょっと間違えたんじゃないかと思わないでもない。この赤色は津島神社の赤とはだいぶ違う。
 鳥居は神明鳥居で本殿も神明造、千木は内削ぎで鰹木は四本。祭神と社殿の建築様式が合っていないのは名古屋の神社の特徴のようなもので、おおらかでこだわりがないといってしまえばそれまでだ。

 このとき拝殿に供えられていたのは、ごま油、カップ酒、2リットル入りのペットボトルの水、焼き鳥の缶詰だった。
 焼き鳥にごま油をたらしてつまみにしながらカップ酒をちびちびやっているスサノオの姿を想像したらちょっと笑えた。

 

作成日 2017.10.27(最終更新日 2019.7.2)

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

中郷の赤色津島社

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