津島社(中郷)

中郷にあった天王社の生き残り

中郷津島社

読み方 つしま-しゃ(ちゅうごう)
所在地 名古屋市中川区中郷5丁目146 地図
創建年 不明
社格等 無格社・十五等級
祭神 須佐之男命(すさのおのみこと)
 アクセス

・あおなみ線「南荒子駅」から徒歩約23分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 江戸時代の中郷村(ちゅうごうむら)にあった天王社。
『愛知縣神社名鑑』にはこう書かれている。
「創建は明かではない。荒子村中郷の天王社として崇敬あつく明治6年据置公許となる。昭和49年本殿遷座祭を斎行した」
 しかし、江戸時代の書にはこれに相当する神社は載っていない。

『寛文村々覚書』
「神明 前々除 当村祢宜 孫大夫持分」

『尾張志』
「雨ノ宮ノ社
 風ノ宮ノ社
 社宮司ノ社 雨宮社より東の方寺前といふ所にある
 御山戸ノ社廃址 境内古末三株あり」
 いずれも天王社は出てこない。小さな祠程度だったということか。

『愛知縣神社名鑑』が「荒子村中郷の天王社」という書き方をしているところをみると、このあたり一帯が広く荒子村で、中郷は後に村として独立したという可能性があるだろうか。
『尾張志』の荒子村の項をみるとこうなっている。

「神明ノ社 末社に鹿島社天王ノ社あり
 山王ノ社
 白山ノ社
 辯才天ノ社
 冨士天満天神相殿社 中脇という所にあり
 風ノ宮ノ社 宮窓といふ地にあり」

『寛文村々覚書』はこうだ。
「冨士権現壱社
 山王 白山権現 弁才天 神明 鹿嶋大明神 天王 風宮」
『寛文村々覚書』には「天王」があり、『尾張志』に出てくる天王社は神明社の末社だけだ。
 いずれにしても、ちょっとよく分からない。

 中郷村の由来について津田正生は『尾張国地名考』の中で、御厨(みくり)があったところから厨郷(ちゅうごう)と呼んでいたものが中郷に変化したと書いている。
 ここでいう御厨(みくりや)というのは、平安時代後期に成立した伊勢の神宮の荘園、一楊御厨(いちやなぎのみ くりや)のことをいっている。
 延喜年間(901-923年)に、烏森、治田(八田)、荒子、高畑、萬町、野田、厨郷(中郷)あたりが開かれ、伊勢の神宮の荘園になった。
 鎌倉時代以降に独立して村になったという。戦国時代は武家の領地になっていた。
 その流れを受けてこのあたりは神明社が多いのだけど、天王社は中郷の津島社くらいしか残っていない。疫病除けの神として江戸時代に流行ったから、ここらへんでも多くの天王社が建てられたはずなのだけど。

『愛知縣神社名鑑』に「昭和49年本殿遷座祭を斎行した」とあるから、現在のものはそのとき建てられたものだろう。
 鳥居や拝殿を赤く塗ったのもそのときだろうか。本家の津島神社も鳥居や社殿は朱塗りだからそれにならったのだろうけど、赤色の発注をちょっと間違えたんじゃないかと思わないでもない。この赤色は津島神社の赤とはだいぶ違う。
 鳥居は神明鳥居で、本殿は神明造、千木は内削ぎで鰹木は四本。祭神と社殿の建築様式が合っていないのは名古屋の神社の特徴のようなもので、おおらかでこだわりがないといってしまえばそれまでだ。

 このとき拝殿に供えられていたのは、ごま油、カップ酒、2リットル入りのペットボトルの水、焼き鳥の缶詰だった。
 焼き鳥にごま油をかけてつまみにしながらカップ酒をちびちびやっているスサノオの姿を想像したらちょっと笑えた。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

中郷の赤色津島社

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