秋葉社(万場)

心地いい吹き抜け神社

万場秋葉社

読み方 あきば-しゃ(まんば)
所在地 名古屋市中川区富田町大字万場字郷内東10番地 地図
創建年 不明
社格等 無格社・十五等級
祭神 迦具土神(かぐつちのかみ)
アクセス

・地下鉄東山線「岩塚駅」から徒歩約33分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度 **

 わー、すごい気持ちのいい神社だなというのが第一印象だった。
 神社は鎮守の森などによって閉ざされている方がいいという考えが私の中にあるのだけど、ここは例外で、土手下にあって全方向吹き抜け感が心地いい。この土手全体から上空の空までもが神域みたいに感じられた。
 この神社、好きだわぁと思う。

 この秋葉社は江戸時代、万場宿(まんばじゅく)にあった。現在地の90メートルほど南の万場宿の入り口にあったようだ。火事から村を守ってもらえるようにという願いを込めて建てたのだろう。
 万場宿は佐屋街道の宿場で、庄内川を挟んで東にあった岩塚宿とセットでひとつの宿場とされた。月のうち半分を万場宿が人馬の引き継ぎを行い、半分を岩塚宿が行っていた。
 庄内川の渡しは万場の渡しと呼ばれ、万場宿が担当した。
 佐屋街道(佐屋路)が整備されたのは江戸時代前期の1634年(嘉永11年)のことだ。東海道は熱田の宮宿から桑名宿まで船で渡していたので(七里の渡し)、海が荒れて船が出せないときや、船酔いを嫌った人々のための脇街道として整備された街道だ。
 熱田から北西へ進み、岩塚、万場、神守を通って佐屋宿に至り、そこからは川を下って桑名へ向かった(三里の渡し)。
 万場宿が作られたのも同じく1634年のことなので、万場の秋葉社が建てられたのはそれ以降ということになるのではないかと思う。ただ、佐屋路の元になる道自体は古くからあって、萬場村もできていただろうから、もしかすると万場宿以前からあったかもしれない。
 秋葉社境内に残された常夜灯には天保13年(1842年)と安永6年(1777年)の年号が刻まれている。これは万場宿にあったもののようだ。

『愛知縣神社名鑑』には、
「古くより万場の火防神として氏子の崇敬篤く、明治6年据置公許となる」
とある。
 江戸期の『寛文村々覚書』や『尾張志』などに、この秋葉社に相当するような神社は出てこない。江戸時代は神社というより小さな祠だったのだろう。

 萬場村(万場村)の地名の由来について『尾張志』は、萬場村の天神社が「右近の馬場」から勧請されたからと書いている。
 右近の馬場というのは、京都の北野天満宮の元になった神社のことを指しているのだと思う。もう少し正確に書くと、右近衛府が管轄する馬場を右近の馬場と呼んでいて、すぐ近くに北野神社があったため、右近の馬場といえば北野神社のことでもあったようだ。そのあたりのことについては天神社(万場)のページに書いた。
 津田正生は『尾張國地名考』の中でこう書いている。
「正字馬場(うまば)の字を略(はぶ)きてまばといひ又まンば□て呼成べし」
 祭りのとき馬場が置かれたことから来ているとか、熱田社の神官だった馬場家の田んぼがあったからなどという説もあり、はっきりしない。
 萬場を「よろずば」と呼んでいたとすると、また意味は違ってくる。

 とにもかくにも、この神社はロケーションが素晴らしくて、お気に入りの神社のひとつとなった。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

最高に気持ちいいロケーションにある万場の秋葉社

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