江戸時代後期の1826年に、大森の八劔神社から勧請して創建したとされる。
『愛知縣神社名鑑』はこの神社についてこう書いている。 「創建については明かではないが、文政九年(1826)酉戌年(ママ・丙戌の間違い)5月26日と伝える。明治5年、村社に列格する。末社の御嶽社の創建は天保四年と記るす。昭和31年10月、本殿を造営、昭和38年10月、社務所を新築した」
創建が1826年で、大森の八劔神社から勧請したというのは本当だろうか。森孝新田は大森村の支村といった小さな集落で、開発されたのが遅かったから、これくらいの時期だったとしても不思議はないか。 ただ、熱田の八劔社からの勧請ではなく、大森村の八劔神社からの勧請という点に少し引っかかりを感じなくもない。 祭神については表記の違いはあるものの、ヤマトタケル(倭建命/日本武命)とスサノオ(須佐之男命/建速須佐之男命)で共通している。ただし、大森にある天火明命(アメノホアカリ)が森孝では抜けている。尾張氏の祖は関係がないということで抜いたのか、どこかで抜けてしまったのかは分からない。
森孝は昭和62年(1987年)まで森孝新田という町名だった。明治時代は森孝新田村と呼ばれていた。名前の通り、新しく開いた田の村だったということだ。 この地が開拓されて人が住むようになるのは意外と遅く、江戸時代になってようやくぽつぽつ人が住み始め、本格的に新田開発が行われたのは明治に入ってからのことだった。 江戸時代後期の1844年に完成した『尾張志』は大森村に八劔社が二社あると書いている。このうちの一社が森孝新田の八劔社のことを指しているのであれば、1826年に創建されたというのはそうなのかもしれない。 ただし、江戸時代を通じて森孝新田村という村はなかったことからすると、大森村の住人の一部が森孝のこの地に移住してあらたに土地を開墾して、大森村の八劔神社から分社して小さな祠を建てたのが始まりだっただろうか。 森孝新田という地名が初めて文献に登場するのは明治13年(1880年)のことだ。 森孝の森は大森から来ているとされるも、孝の由来についてはよく分かっていない。このあたりは江戸時代を通じて雑木林くらいしかないところだった。森孝の東の三軒家、四軒家という地名もそれを表している。 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、その時代のこの辺りの様子が見てとれる。森孝新田の集落は八劔神社を中心として北の向台に広がっていた。
大森方面から森孝方面に向かうと、矢田川を越えて天子田から先は上り坂になっていることが分かる。森孝新田のあたりはちょっとした台地になっており、耕作地として適さなかったのが開発がなかなか進まなかった理由だった。矢田川が近くを流れているものの、江戸時代の技術では高台まで水を引くことができなかったと思われる。 森孝に人が暮らし始めるようになるのは、江戸時代中期の1760年代あたりからと考えられている。おそらく数戸という単位だっただろう。 ひとつのきっかけとして、森林開発があった。瀬戸で陶器の製造が盛んになると、燃料としての木材が大量に必要となり、急速な森林伐採が行われるようになる。森孝新田は山口街道で瀬戸方面とつながっていることからしても、このあたりでも大量の木材が伐採されて運ばれたことだろう。 そのせいで土地が保水力を失い、川に雨水が流れ込んでたびたび氾濫するようになった。1760年に大森村の八劔神社が遷座したのも水難から逃れるためだった。 1826年に森孝に八劔神社が創建された頃には、それなりに開けて集落がでてきていたと考えていいだろうか。 時代背景や土地柄を考えるとアマテラスの神明社をあらたに創建してもよさそうなのにそうしなかったのは、大森村からこちらに移ってきた人たちが多かったせいかもしれない。八劔神社に対する思い入れが強かったとすれば、そこから分祀するのは自然なことだ。 明治7年(1874年)の調査では、森孝新田の戸数は28戸で村民は219人とある。 村役場が初めてできたのは明治17年(1884年)のことだ。 その後、守山町に組み込まれ、守山市となり、名古屋市守山区となった。
『愛知縣神社名鑑』では本殿の造営が昭和31年(1956年)とある。それから月日が流れ、拝殿の損傷が激しかったため、平成22年(2010年)に半木造半コンクリート造で再建された。 境内社の御嶽社は天保4年(1833年)に建てられたものが今もそのまま残っている。
神社の歴史はその地域の歴史であり、逆に言うと地域の歴史を知ることで神社の歴史が見えてくることがある。 なんでこの祭神なんだろう、なんでこの場所だったんだろう、なんでこの年だったのだろう、そういった小さな疑問を疑問のまま放置せずにひとつひとつ確かめていくことがその神社を知ることにつながっていく。 私はそれを引っかかりと呼んでいる。引っかかりは取っかかりであり、手がかりとも言える。 神社の歴史を知ることで、その神社に対する親しみがわいてくるということがある。それは、人を知るということに似ている。 このサイトが神社を好きになる小さなきっかけになってくれたらいいと願っている。
作成日 2017.3.12(最終更新日 2019.1.18)
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