森孝八劔神社

神社の歴史は村の歴史

森孝八劔神社参道と拝殿

読み方 もりたか-やつるぎ-じんじゃ
所在地 名古屋市守山区森孝3丁目203番地 地図
創建年 1826年(江戸時代後期)
社格等

村社・十三等級

祭神

倭建命(やまとたけるのみこと)
須佐之男命(すさのおのみこと)

 アクセス

・名鉄瀬戸線「大森・金城学院前駅」から徒歩約40分
・地下鉄東山線「藤が丘駅」から徒歩約40分
・名鉄バス「三軒家停留所」から徒歩約7分
・駐車場 なし

webサイト  公式サイト
オススメ度

 江戸時代後期の1826年に、大森の八劔神社から勧請して創建したとされる。
 祭神はヤマトタケルとスサノオ。
 神社名と祭神の表記に関しては、愛知県神社庁の登録名称と、『愛知縣神社名鑑』に準じることを基本としている。ただし、単に神明社や八幡社ではどこの神社のことか分かりづらいので、便宜的にその町名などを採って頭に付けることとする。
 祭神名については、『古事記』、『日本書紀』によっても違うし、たくさんの表記があるので基準を決めることが難しい。尊と命などについても、そのときどきで表記が違ってくるのはもう仕方がないとあきらめることにした。どれが正解というわけでもない。
 森孝八劔神社は大森八劔神社からの勧請なので祭神は同じヤマトタケルとスサノオなのだけど、大森が日本武命、建速須佐之男命としているのに対して、森孝は倭建命、須佐之男命としている。
 神社名の八劔は、どちらも「劔」の文字を使っている。

 森孝は昭和の後期まで森孝新田という町名だった。名前の通り、新しく開いた田の村だったということだ。
 ただし、この地が開拓されて人が住むようになるのは意外と遅く、江戸時代になってようやくぽつぽつ人が住み始め、本格的に新田開発が行われるようになるのは明治に入ってからのことだった。
 江戸時代を通じて森孝新田村というものもなかった。大森は早くから人が住んでいた土地で、大森村の歴史も古い。森孝新田は大森村の支村という位置づけだったようだ。初めて文献に登場するのは明治13年(1880年)のことという。
 大森方面から森孝方面に向かうと、矢田川を越えて天子田から先は上り坂になっていることが分かる。森孝新田のあたりはちょっとした台地になっており、耕作地として適さなかったのが開発がなかなか進まなかった理由のようだ。矢田川が近くを流れているものの、江戸時代の技術では高台まで水を引くことができなかったと思われる。それに加え、このあたりは森や雑木林ばかりの土地だったらしい。
 森孝新田に人が暮らし始めるようになるのは、江戸時代中期の1760年代あたりからと考えられている。1800年代まではおそらく数戸という単位だったのだろう。
 ひとつのきっかけとして、森林開発が考えられる。瀬戸で陶器の製造が盛んになると、燃料としての木材が多量に必要となり、急速な森林伐採が行われるようになる。森孝新田は山口街道で瀬戸方面と一本の道でつながっていることからしても、このあたりでも大量の木材が伐採されて運ばれたことだろう。
 そのせいで土地が保水力を失い、川に雨水が流れ込んでたびたび氾濫するようになった。1760年に大森八劔神社が遷座したのも水難から逃れるためだったのだろう。
 1826年に森孝八劔神社が創建された頃には、それなりに開けて集落がでてきていたと考えてよさそうだ。うちにも神社が欲しいということになって、大森から八劔神社を勧請したということのだったのだろう。
 時代背景や土地柄を考えるとアマテラスの神明社をあらたに創建してもよさそうなのにそうしなかったのは、大森村からこちらに移ってきた人たちが多かったせいかもしれない。八劔神社に対する思い入れが強かったとすれば、そこから分祀するのは自然なことだ。
 アメノホアカリが省かれたのは、あまりにも自分たちと関係がない神だったせいだろう。大森村や森孝新田に暮らす人々は、もはや尾張氏の子孫とかではなかったはずだ。
 明治7年(1874年)の調査でも、森孝新田の戸数は、28戸、村民は219人でしかない。
 村役場が初めてできたのは明治17年(1884年)のことだ。
 その後、守山町に組み込まれ、守山市となり、名古屋市守山区となる。

 森孝八劔神社は、明治5年(1872年)に村社に列格。
 本殿は戦後の昭和31年(1956年)に造営された。
 木造の拝殿は老朽化が激しかったため、平成22年(2010年)に半木造で再建された。
 境内社の御嶽社は天保4年(1833年)に創立された古いものだ。

 神社の歴史はその地域の歴史であり、逆に言うと地域の歴史を知ることで神社の歴史が見えてくることがある。
 なんでこの祭神なんだろう、なんでこの神社だったのだろう、なんでこの場所だったんだろう、なんでこの年だったのだろう、そういった小さな疑問を疑問のまま放置せずにひとつひとつ確かめていくことがその神社を知ることにつながっていく。
 私はそれを引っかかりと呼んでいる。引っかかりは取っかかりであり、手がかりとも言える。
 神社の歴史を知ることで、その神社に対する親しみがわいてくるということがある。それは、人を知るということに似ている。

 参考文献
『わが郷土・大森森孝新田』 名古屋市立大森中学校/編

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

森孝八剱神社で初詣

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