雨宮社

雨と風の神を祀る社

雨宮社

読み方 あまみや-しゃ
所在地 名古屋市中川区中郷2-164 地図
創建年 不明
社格等 郷社・九等級
祭神

高龗神(たかおかみのかみ)
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
志那都比古神(しなつひこのかみ)

アクセス

・地下鉄東山線「高畑駅」から徒歩約19分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度 **

 雨宮社というからには雨の神を祀っているのだろうと想像がつく。
 実際その通りで、本社で高龗神(たかおかみのかみ)を祀っている。
 アマテラスともう一柱の神、志那都比古神(しなつひこのかみ)は馴染みが薄い。伊勢の神宮をよく知る人なら、風の神だとすぐにピンと来るだろうか。
 ここは雨の神と風の神が合体した神社だ。なかなか渋いチョイスだ。この村の人たちは神社選びのセンスがあった。

 中村区から中川区にかけての広い範囲は、かつて伊勢の神宮領だった。一楊庄(ひとつやなぎしょう)と呼ばれ、伊勢の神宮の御厨(みくりや/荘園)、一楊御厨(いちやなぎのみくりや)があった。
 その範囲は、烏森、八田、荒子、高畑、萬町、野田、中郷のあたりで、平安時代中期の延喜年間(901年-923年)に成立したとされる。
 その後、鎌倉時代には村として独立した。
 雨宮社と風宮社はもともと別の場所にあった。風宮社が雨宮社に移されたは明治40年(1907年)のことだ。
 雨宮社ももともとは少し北の野田にあったようだ。
『愛知縣神社名鑑』によると、「創建は明かではない。昔は野田町字南屋敷廻りに鎮座のところ 文政二年(1819)4月、祠官高羽石見守の代に中郷町の今の社地に遷座する」とのことだ。
 北に野田村、その南に中郷村、東に高畑村という位置関係になる。
 中郷村は「ちゅうごう」と読む。これは神宮の厨(みくりや)がある郷、「厨郷(ちゅうごう)」から来ているとされる。
 いずれにしても、伊勢の神宮の影響が大きかった土地ということで、神社もまた当然神宮関連ということになる。
 しかしながら、どうして高龗(タカオカミ)だったのか、という疑問がわく。

 一般的にタカオカミは、京都の貴船神社の主祭神というイメージが強い。奈良県の丹生川上神社上社(にうかわかみじんじゃかみしゃ)などでも祀られているけど、伊勢の神宮でタカオカミを祀っているというイメージはない。
 神宮は内宮、外宮をあわせて125社から成り立っているからその中にタカオカミを祀っているところがあるのかもしれないけど、内宮・外宮の境内にある別宮の神ではない。風の神は内宮の風日祈宮(かざひのみのみや)と外宮の風宮(かぜのみや)で祀っている。
 伊勢の神宮は、雨の神、水の神といった属性が薄いような気がするのだけど、それは私の思い違いだろうか。
 雨や水は農作物を育てるにも、人が生きていく上でも必要不可欠なものだから、神宮でも大切にしなかったはずがないし、雨乞いの儀式などもあっただろうから、無関係ということはあり得ない。
 では、雨宮社はどこからタカオカミを勧請したのか?
 創建年について知る手がかりとして、鎌倉時代後期の文保2年(1318年)に伊勢の神宮に初穂を奉納したという記録がある。
 神宮の荘園として成立したのが平安時代中期で、鎌倉時代に独立したということは、神社の創建としては鎌倉時代に入ってからだろうか。だとすれば、神宮の直接支配から離れて別の神社、たとえば貴船神社あたりからタカオカミを勧請して雨宮社を建てたという可能性も考えられる。荘園でなくなったからといって神宮との関係がなくなったわけではないだろうから、初穂を納めたとしても不思議はない。
 ひょっとすると風宮の方が神社として先だったかもしれない。
 内宮と外宮の風宮は、もともと風社(かぜのやしろ)と呼ばれる小さな社だったのが、鎌倉時代の蒙古襲来(1274年と1281年)に対して神風で追い払ったことの功績により風宮の称号を得て別宮に昇格したという歴史を持っている。
 現在でも5月には五穀豊穣を祈願する風日祈祭(かぜひのみさい)が神宮で行われている。
 風もまた神であり、作物を育てるには必要なものと考えられていたのだろう。

 江戸時代初期の『寛文村々覚書』を見てみる。
【野田村】
 神明
 斎宮司
 八王神 
【中郷村】
 神明

 どちらにも雨宮、風宮はない。
 荒子村に風宮があり、中嶋新田に風之宮があるも、雨宮はない。

 江戸時代後期の『尾張志』ではこうなっている。
【野田村】
 
神明社 (村の氏神 末社に白山社 八幡社あり)
 八王子社
 サグシノ社
【中郷村】
 雨宮社 (天照御大神 高龗神を祭れり 末社に白山社 富士社あり)
 風宮社 (中島新田の地内にあり 天照御大神 級長戸邊(シナガトベ)ノ命 級長津彦(シナガツヒコ)ノ命を祭ると云)
 社宮司社
 御山戸(ミヤマド)ノ社 廃址
【高畑村】
 風宮社

  江戸時代のどこかで、雨宮社と風宮社が中郷村に移ってきたということなのだろう。
 いつ誰がどこにタカオカミを勧請して祀ったのかについては分からない。
 風宮社については伊勢の神宮から勧請したのだろうと予測はできるも、その他のことは不明ということになる。

 近年の歴史を見ると、雨宮社は明治4年に郷社に列格している。
 村社や郷社を決める基準は必ずしも歴史や由緒によるものではなく、氏子数の多さや地域の広さが重視されたという。
 風宮社が村社に列格したのかしなかったのかは分からないけど、明治40年に雨宮社に合祀されたのは、明治39年の神社合祀政策の勅命によるものと考えられる。その頃までに雨宮社と風宮社の力関係はそういうことになっていたということだ。
 ただし、実際にこの神社を訪ねてみると、圧倒的に風宮社の方が強い気を発しているように私には感じられた。雨宮社と風宮社の間には目には見えなくてもくっきりとした境界線があって、風宮社一帯の空気は濃密で重い。磁場が違う。霊感などほとんどない私がそうなのだから、感じやすい人ならそれは明らかだと思う。そんなものは気のせいとしてしまってもいいのだけど、あそこまで空気が違っていると、それをないことにするのは難しい。

 この風宮社の祭神を志那都比古神(しなつひこのかみ)としている。
 神宮の風宮は級長津彦命(しなつひこのみこと)・級長戸辺命(しなとべのみこと)を祭神とする。
 志那都比古は『古事記』での表記で、級長津彦は『日本書紀』での表記だ。神社の祭神としては志那都彦とされることもある。
 級長津彦(シナツヒコ)と級長戸辺(シナトベ)は同じ神の別名とされることもあるのだけど、神宮では別の神としているようだ。シナツヒコを男の風神、シナトベを女の風神とする説もある。
 イザナギとイザナミの間に生まれた子で、「し」は風、または息の古語、「な」は長い、「つ」は何々のという意味の助詞、「ひこ」は男子のことなので長い息の男=風の(男)神とされる。
『古事記』、『日本書紀』では具体的な活躍は描かれていない。
 タカオカミは雨を呼ぶため、シナツヒコは風を鎮めるために祀られたと考えていいだろうか。
 神風を吹かせて蒙古軍を追い払ったとはいえ、台風が来たら作物に被害が出てしまう。雨も風も必要だけど多すぎるのは困る。そこは天に調整して欲しいという願いは切実だったはずだ。

 雨宮、風宮の他に、稲荷、白龍、サルタヒコも祀られている。
 雨と風だし白龍もいるから龍属性の神社かと思ったのだけど、風神・雷神の神社といった方がしっくりくる。
 名古屋市内で雨と風の神が一体となっている神社は他にないんじゃないか。
 嵐を呼ぶ男や雨女といわれるような人はこの神社に参って雨と風の神を味方に付けると何かいいことがあるかもしれない。
 個人的には風宮社を特におすすめしておきます。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

雨の神、風の神、雨宮社

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