日吉神社(吉津)

名古屋に少ない日吉神社のひとつ

吉津日吉神社

読み方 ひよし-じんじゃ(よしづ)
所在地 名古屋市中川区吉津四丁目1503番 地図
創建年 不明
社格等 村社・十等級
祭神

大山咋神(おおやまくいのかみ)

天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)

アクセス

・JR関西本線「春田駅」から徒歩約20分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 全国的によく知られている神社の系統が、名古屋にはごく少ないという例がいくつかある。日吉神社もそのひとつだ。
 日吉系の総本社は、滋賀県大津市坂本にある日吉大社で、東京には江戸総氏神とされた日枝神社(ひえじんじゃ)がある。
 名古屋では名東区の日吉神社と、ここ中川区の日吉神社くらいしかないと思う。
 名古屋の北、清須市には清洲山王宮日吉神社があり、そこは清洲総鎮守とされる神社だ。
 名古屋城下にこれほど日吉神社がないのは何故なのか。少なすぎて不自然にさえ思えるのだけど、たまたまなのか何か理由があったのか。

 江戸の日吉社を江戸城鎮守としたのは徳川家康で、名古屋城を築城して名古屋城下を作ったのも家康だ。名古屋城ができるまで尾張の首府は清洲だったことを考えると、名古屋城下でももっと日吉社があってもよさそうなものだ。
 そもそも清洲越し(清洲から名古屋への町ごとの引っ越し)のとき、どうして清洲の日吉神社は名古屋に移されなかったのだろう。
 名古屋城下の有力寺院が天台宗ではなかったことも多少は関係があるだろうか。
 大須観音七寺(長福寺)笠寺観音などは真言宗、万松寺は曹洞宗(単立)だし、尾張藩主の菩提寺である建中寺は浄土宗だ。荒子観音龍泉寺などは天台宗だけど名古屋城下からは遠く離れている。

 日吉神社の山王信仰(さんのうしんこう)は、滋賀県の比叡山を司る山の神を祀る素朴な信仰から始まっている。
 もともとは日枝山(ひえやま)と呼ばれた山で、比叡山の字を当てたのは後世のことだ。
 いつ頃から山王信仰が始まったのかは定かではない。最初は大山咋神(オオヤマクイ)を祀っていたところに、668年に大津京を鎮護するため大和国の三輪山から大三輪神(おおみわのかみ/大物主神)を呼んであわせて祀ったことで形が整ったとされる。
 大山咋神の咋は杭(くい)のことで、山に杭を打ち込む神、つまりは山を支配する神という意味だ。素戔嗚尊(スサノオ)の孫に当たるとされる。
 788年、比叡山に延暦寺を開いたのが天台宗の祖・最澄だった。オオヤマクイとオオモノヌシを山王として、天台宗の守護神としたことで神仏習合していくことになる。
 山王の由来は、中国(唐)の天台山国清寺が山王弼真君(さんのうひつしんくん)を祀っていたからなどという説がありつつも、はっきりしたこは分からない。
 日吉神社の神の使いが猿である理由もよく分からない。
 いずれにしても、山王信仰といったものが日吉大社と天台宗との両方で広がり、浸透していったということは言えそうだ。
 家康が日吉社を江戸城鎮守、江戸市民総氏神としたのは、家康のブレーンだった天海が天台宗の僧だったということもある。江戸城下を実質的に作ったのは天海だったという説もある。

  ここ中川区吉津にある日吉神社の創建については明かではないとしている。
 鎌倉時代に日吉大社から勧請して建てたという話はあるけど、それはどうなんだろうと思う。
『尾張志』には「山王ノ社 神明ノ社 二社共に松下村にあり」とある。
 江戸時代には神仏習合の山王社となっていたことが分かる。日吉と名を改めたのは、明治の神仏分離令のときだ。
『愛知縣神社名鑑』にもそのあたりの経緯が書かれている。
「明治制度改めにより山王社を日吉社に改称し 明治5年7月、村社に列格する。 昭和11年社殿改築する。 昭和33年 神明社と合併する。 昭和58年、社殿を造営。 昭和59年、日吉社を日吉神社と改称した」
 もうひとつ分かるのが、現在の吉津4丁目は、かつて松下村だったということだ。
 津田正生『尾張国地名考』にはこうある。
「松下村 村名正字なり そのかみ川条の所にや地面低き村里なり」
 神社の北にある松下公園などに地名の名残がある。
 神社の少し東を流れる新川は、その東を流れる庄内川の洪水対策として江戸時代中期に掘られた人工の河川だ。1784年に工事が始まって1787年に完成した。『尾張志』の完成は1844年なので、その頃にはすでに新川はあったということになる。
「地面低き村里」なのは昔も今も変わらない。
 境内社として祀られている水天宮も、水難除けのために建てられたものだろう。

 神社を訪れて一番最初に目に飛び込んでくるのが、朱色に塗られた山王鳥居だ。明神鳥居の上に三角形の破風(屋根)が乗った独特の形をしている。
 昭和56年に建てられたもののようで、そのあたりの経緯が神社由緒書きにある。
 神社の境内を道路が通ることになり、境内の再整備の一環として建てたということのようだ。
 なんでも造営の関係者23人は技術者6名を伴って日吉大社まで出向いていき、宮司の指導と許可の元、建てることになったのだとか。
 拝殿前には狛犬の代わりに猿像が左右にいて、神社を守っている。日吉神社にいるこの猿は「まさるさん」と呼ばれている。
 その心は? 魔が去る。
 魔法使いの方とかは魔力が去ったりすると困るだろうから、「勝る」と置き換えて考えた方がよさそうだ。

 結局、名古屋に日吉神社が少ない理由は解明できずじまいだった。
 ちなみに、中川区の北東にある山王の地名は、中区正木の古渡稲荷神社の中にある山王社が由来となっている。その山王社はもともと清洲にあったもので、江戸時代には稲荷社と合体して山王稲荷と呼ばれていた。
 現在も、山王駅や山王通、町名の山王などに残っている。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

朱塗りの山王鳥居がシンボル吉津日吉神社

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