天神社(万場)

右近の馬場とはなんぞや

万場天神社

読み方 てんじん-しゃ(まんば)
所在地 名古屋市中川区万場2丁目 地図
創建年 不明
社格等 十五等級
祭神 菅原道真(すがわらのみちざね)
アクセス

・地下鉄東山線「岩塚駅」から徒歩約35分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 バス停のすぐ前、神社前の道路は高速道路の高架で、隣はパチンコ屋という、なかなかに落ち着かないロケーションの中にある。万場が佐屋街道の宿場だったのは遠い昔のことだ。
 佐屋街道は神社の南200メートルほどのところを東西に通っていた。
 萬場村の天神社がもともとどこにあったのかはよく分からない。道ばたに小さくなっているところをみると、もとからここにあったのかもしれない。高速道路建設の影響を受けていないとは考えにくいけど。

 萬場村の地名の由来についてはいくつかの説がある。その中で『尾張志』は、天神社が右近の馬場から勧請したものだから村名になったと書いている。
 右近の馬場は北野神社(北野天満宮)のことをいっているのだと思うけど、どうして北野神社からの勧請ではなくあえて右近の馬場からの勧請としたのか。

 現在北野天満宮が建っている場所の南東に、右近衛府の管轄する馬場があった。人々はそこを右近の馬場と呼んでいた。
 右近衛府(うこんえふ)は左近衛府とともに武器を持って宮中を警護する官職のことだ。
 菅原道真は右近衛大将を務めていたことがあり(権大納言との兼任)、右近の馬場が好きだったという話が伝わっている。道真といえば梅だけど、馬場は桜の名所でもあったそうだ。
 道真が無実の罪を着せられて太宰府に左遷され、そこで命を落として間もなく、多治比文子(たじひのあやこ)という女性の元に道真の霊が現れ、「われを右近の馬場に祀れ」と告げたという。
 多治比文子は道真の乳母だとも、巫女だとも、少女だともいう。
 彼女は道真の霊を祀る祠を自宅に建て、のちにそれは文子天満宮と呼ばれるようになる。
 右近の馬場近くに朝廷が北野天満宮を建てたのは、道真が没して40年以上経った947年のことだ。

『尾張志』がいうように右近の馬場から勧請して祀ったというなら、この天神社の祭神は初めから菅原道真ということになる。それはいつのことだったのか。
 江戸時代前期の1670年にまとめられた『寛文村々覚書』には「戸田庄万場村 大明神 八幡 弐ヶ所」とあり、天神社は載っていない。大明神というのが天神社のことかと思ったのだけど、萬場村には国玉神社があり、それが載っていないのは変だから大明神が国玉神社のことだろうか。
 江戸時代後期の『尾張志』(1844年)には「万場村に八劔社 天神社 八幡社あり」とあり、ここでは天神社も八劔社も出ている。八劔社が後に式内社の国玉神社のこととされた。
 もし、江戸時代前期にはなかった天神社を江戸時代中期以降に建てたのなら、天神社が萬場村の地名の由来になったというのはおかしい。『寛文村々覚書』にはすでに萬場村として出ているのだから。
『尾張国地名考』の中で津田正生はこう書いている。
「萬場村 正字馬場(うまば)の字を略(はぶ)きてまばといひ 又 まンば□て呼成べし」
 万場村の万場が馬場から来ているという可能性は高そうだけど、天神社が右近の馬場からの勧請だったのかどうか、それが村名の由来になったかどうかはなんともいえない。
 熱田社の神官だった馬場家の所有する田んぼがあったからだとか、祭りのときの馬場が置かれたことが由来だといった説もある。

  天神(てんじん)はもともと天皇家ゆかりの天津神や有力豪族の祖神のことを指していた。
 アマテラス(天照大神)をはじめとした天孫系の神々は天神で、地上を治めていたオオクニヌシ(大国主命)などが地神(国津神)として区別される。
 菅原道真の死後ほどなくして道真は天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)という神として祀られることになり、その後、左遷に関わった人々が次々と謎の死を遂げたり、清涼殿に雷が落ちて燃えたりして、それらが道真の祟りだということになり、雷と火事から火雷神と道真が結びつき、天神といえば道真のことということになっていった。
 太宰府天満宮も北野天満宮も、そもそもは道真の怨霊を鎮めるために建てられた神社だ。学問の神とされたのは江戸時代に入ってからのことだ。
 それにともなって、それまで古い神を祀っていた天神社が道真を祀る天満宮になったものが少なくない。
 万場の天神社もその例かと思ったのだけど、右近の馬場を持ち出されてしまうと初めから道真を祀る神社として建てられたのかと思えてくる。

 今の万場天神社にかつての面影はないのだろうけど、それにしてもよくここにこうして残ったものだと感心した。
 菅原道真を祀るとしながらも天満宮らしさはまったくない。あるいはこういった小さくて素朴な社を祀ることが本来の天神社の姿だっただろうか。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

 

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