天神社(万場)

右近の馬場とはなんぞや

万場天神社

読み方 てんじん-しゃ(まんば)
所在地 名古屋市中川区富田町大字万場字北畑中540番 地図
創建年 不明
社格等 十五等級
祭神

菅原道真(すがわらのみちざね)

アクセス

・地下鉄東山線「岩塚駅」から徒歩約35分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 中川区万場にある天神社。
 旧佐屋街道の庄内川東に岩塚宿があり、万場の渡しで渡った川西には万場宿があった。
 天神社は旧佐屋街道の北230メートルほどのところに鎮座している。高速道路の下道のすぐ北という位置を考えると、高速道路建設の際に場所を移されたかもしれない。
 南から入って社殿は東を向いている。東側にも入り口があったような痕跡があるから、もともとは東側に参道と鳥居があったのだろうか。
 神社が建っている場所は円墳のようにこんもり盛り上がっていて、周囲の土地は一段低くなっている。海に浮かぶ小島というような場所ではないから、ひょっとしたら池の中に浮かぶ島にあった神社だったかもしれないと思った。

 この神社を知るための手がかりは少ない。
 天神社という名前からしてはっきりしない神社だということが分かる。
 現在の祭神は菅原道真となっているけど、最初からそうだったかどうかはなんとも言えない。天神社は江戸時代に多くあって、具体的にどんな神を祀っていたのかはよく分からない。
 古くは白山社だったという話があるようだ。ただ、それもピンと来ない。
『愛知縣神社名鑑』は『尾張志』の「天神ノ社は右近の馬場より勧請し奉りしより馬場(万場)が村名となりし」を引用するだけで、創建は不明としている。
 右近の馬場といえば北野天満宮だ。

 現在の北野天満宮が建っている場所の南東に、右近衛府の管轄する馬場があった。人々はそこを右近の馬場と呼んでいた。
 菅原道真は右近衛大将を務めていたことがあり、右近の馬場が好きだったという話が伝わっている。道真といえば梅だけど、馬場は桜の名所でもあったという。
 道真が無実の罪を着せられて太宰府に左遷され、そこで命を落として間もなく、多治比文子(たじひのあやこ)という女性の元に道真が現れ、「われを右近の馬場に祀れ」とつげたという。
 多治比文子は道真の乳母だとも、巫女だとも、少女だともいう。
 彼女は道真の霊を祀る祠を自宅に建て、のちにそれは文子天満宮と呼ばれるようになった。
 右近の馬場に北野天満宮が朝廷によって建てられたのは道真が没して40年以上が経った947年のことだ。

『尾張志』がいうように右近の馬場から勧請して祀ったというなら、この天神社の祭神は最初から菅原道真ということになる。
 ただ、少し疑問に思うのが地名と神社の関係性だ。右近の馬場から勧請して天神社を建てて万場村としたなら、それ以前の村名は何だったのか。
 江戸時代前期にまとめられた『寛文村々覚書』には「戸田庄万場村 大明神 八幡 弐ヶ所」とあり、天神社は載っていない。大明神というのが天神社のことかと思うのだけど、万場村には国玉神社があり、それが載っていないのは変だから大明神が国玉神社のことなのか。
 一方、江戸時代後期の『尾張志』を見ると、「万場村に八劔社 天神社 八幡社あり」とある。
 八劔社は国玉神社のことで、天神社もちゃんと出ている。
 この八幡社というのがよく分からない。現在の万場には八幡社は存在していない。
 もし、江戸時代前期にはなかった天神社を江戸時代中期以降に建てたのなら、天神社が万場村の地名の由来になったというのはおかしい。『寛文村々覚書』の時点ですでに万場村の村名は存在している。
『尾張国地名考』津田正生は書いている。
「萬場村 正字馬場(うまば)の字を略(はぶ)きてまばといひ 又 まンば□て呼成べし」
 万場村の万場が馬場から来ているという可能性は高そうだ。
 その馬場というのは右近の馬場とは関係がないかもしれない。
 熱田神宮の神官だった馬場家の所有する田んぼがあったことから村名になっただとか、祭りのときの馬場が置かれたことが由来だという説もあるようだ。
 それにしても何故、『尾張志』は北野天満宮から勧請ではなく、右近の馬場から勧請としたのだろう。右近の馬場といえば誰もが北野天満宮と知っているからということなのか、もしかすると勧請したのは菅原道真ではないのか。

  天神(てんじん)はもともと天皇家ゆかりの神々や有力豪族の祖神のことを指していた。天津神(あまつかみ)、国津神(くにつかみ)という区別で考えると分かりやすい。
 アマテラス(天照大神)をはじめとした天孫系の神々は天神で、地上を治めていたオオクニヌシ(大国主命)などが地神(国津神)ということになる。
 菅原道真の死後、道真は天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)という神として祀られることになり、その後、清涼殿に雷が落ちて燃えたのは道真の祟りだということになり、雷と火事から火雷神と道真が結びつき、天神といえば道真のことということになっていった。
 太宰府天満宮も北野天満宮も、そもそもは道真の怨霊を鎮めるために建てられた神社だった。学問の神とされたのは江戸時代に入ってからのことだ。
 それにともなって、それまで古い神を祀っていた天神社が道真を祀る天満宮になったものが少なくない。
 なので、ここ万場の天神社もその例かと思ったのだけど、右近の馬場を持ち出されてしまうと初めから道真を祀る神社として建てられたのかと思えてくる。
 それにしても、社殿や雰囲気からして、まったく天満宮らしさはない。牛すらいないから、やっぱりここは天満宮ではない気がする。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

万場天神社は中川区北西部らしい特徴を備えた神社だ

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