中区正木に榎木白龍を祀る神社が二社ある。金山駅の西にある方を榎白龍大神(地図)、伊勢山中学の東にある方を榎白龍明神として区別している。どちらも近くにある闇之森八幡社(地図)の境外末社という扱いになっている。ただし、もともとそうだったかどうかは分からない。明治か昭和に神社を整理するときに境外社として残したとも考えられる。 榎白龍明神も榎白龍大神も、どういういきさつで祀られるようになったのかは調べがつかなかった。榎で白龍というのであれば、榎に棲む白蛇を祀ったのが始まりかもしれない。
金山駅があるあたりから北の古渡にかけては熱田台地の中央部で一番幅が狭くなっているところだ。正木町遺跡や伊勢山中学校遺跡、東古渡町遺跡などが見つかっており、縄文時代から人が暮らしていたことが分かっている。尾張最古の寺ともいわれる尾張元興寺(願興寺)が建てられたのも正木だったところをみると、熱田台地上の重要拠点のひとつだったことは間違いない。 古くは少し北を古東海道が斜めに横切り、時代が下ると古渡に鎌倉街道と美濃路の交差点があった。
古渡七塚と呼ばれる七つの塚があったという言い伝えがある。 そのうちのひとつである金塚があったのは榎白龍明神を祀っている場所だという。 『古渡集』は、義次塚(昌桂山泰雲寺)、為朝塚(尾頭塚)、山伏塚(榊森白山神社)、鎧塚(闇之森八幡社)、金塚(榎白龍明神)、片葉塚(中区平和2丁目)、鎌塚(金山神社)があったとしている。 闇之森八幡社のページにも書いたように、古渡には鎮西八郎こと源為朝(みなもとのためとも)伝説があり、為朝の遺児である義次がやってきて尾頭を名乗り、後に尾頭橋の地名が生まれたという話もあることから、こういった塚の伝説が生まれたと考えられる。 塚というのは盛り土をしたものをいい、死者を埋めて土を盛ったことから塚といえば墓というイメージができた。古墳も大きな塚だ。 首塚、鎧塚、刀塚などもあり、必ずしも死者を埋めたわけではない。塚は葬るという意味と祀るという意味があった。 それらとは別に一里塚もよく知られている。街道沿いの一里(4キロ弱)ごとに盛り土をして、目印に木を植えた。 一里塚の木としてよく植えられたのが榎(エノキ)だった。榎は木へんに夏という字を組み合わせて作った和製漢字だ。夏に日陰を作る木ということから来ているとされる。もともとは「エ」が名前で「エ」の木から「エノキ」になった。由来は諸説あってはっきりしない。発音は「e」ではなく「ye」だった。 榎白龍明神の場所にあったとされる金塚は、元興寺の屋根に載っていた金銀の鶏を埋めたことが由来という話がある。 塚に榎というのだから街道沿いの塚に植えた榎が始まりとも考えられるけど、金塚の伝説も何らかの事実を反映したものかもしれない。 今も境内に榎があるかどうかはちょっと分からなかった。注連縄がかけられていた木は榎ではなく楠か何かだと思う。
せっかくなので、榎と一里塚についてもう少し補足しておきたい。 榎はニレ科エノキ属の落葉高木で、雌雄同株だ。4月に小さな花を咲かせ、実は食べられるほど甘いらしい。 生長が早く、よく葉を茂らせ、高さは20メートル以上になる。そういったことから一里塚の木としてよく植えられた。五街道の一里塚の半分以上が榎だった(他には松や杉など)。 一里塚の盛り土は五間(9m)四方で高さは一丈(3m)ほどだったので、けっこう大きい。 平安時代末に奥州藤原氏が白河の関から陸奥湾までの街道沿いに目印の塚を作らせたのが始まりとされ、江戸時代に入って家康が秀忠に命じて五街道を整備したときに一里塚も作らせた。
金山駅の周辺一帯は、江戸時代は古渡村(ふるわたりむら)だったところだ。古くは西側が入り江で渡し場があり、信長の時代に入り江が埋め立てられたことから、古くは渡しだったところということで古渡と呼ばれるようになったとされる。 正木町は明治11年(1878年)に古渡村の一部より成立した。正木の地名の由来については調べがつかなかった。昭和52年(1977年)に蛭子町、葛町、下茶屋町、古渡町、正木町の各一部より正木1丁目から4丁目が成立した。 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、東の本町通から少し西に入ったところで、集落のはずれになっていたことが見てとれる。 大正から戦中にかけて民家が密集したものの、第二次大戦の空襲で町の7割ほどが焼失した。1947年(昭和22年)の地図を見るとスカスカになってしまっている。 伊勢山中学校は1947年に開校し、最初、橘小学校を仮校舎とした。 2年後の1949年(昭和24年)に現在地に校舎を建てて2年生、3年生が移った。 伊勢山中学の下には弥生時代から古墳時代、中世にかけての遺跡が眠っている。中学を建てる前に調査が行われ、古墳時代の住居跡などが見つかった。 金山に住んでいる人も、訪れる人も、金山一帯が古墳と遺跡まみれの土地ということを意識している人は少ないだろう。 闇之森八幡社や榊森白山社に伊勢山神明社、金山神社など、金山、古渡には古い神社が多い。これらの神社はかなり強い力を持った神社でもある。そういった神社で抑え込まないと土地に積み重なった念のようなものが溢れてしまうからかもしれない。白龍明神の二社もあるし、とりあえず街としては守られているといっていいだろうか。
2021.3.21 追記
当神社が取り壊されてマンションが建つという情報をいただいた。 写真を見ると、フェンスで囲まれた更地になっており、神社の姿は跡形もない。 こういうことがどんどん起きているから覚悟はしているつもりでも、いざ現実となるとちょっとつらい気持ちになる。 せっかくこれまで数百年、長いところでは千年以上も人々が守り続けてきたものをいともあっさり取り壊してしまっていいのだろうか。 近くの闇之森八幡社に移されて新たな社が建てられたとのことだけど、それでも済むことではない。 とくに龍神は土地神としての性格が強いからなおさらだ。 これからここのマンションに住む人たちは知らないだろうけど、何か障りがあるかもしれない。 自分が住む土地の歴史はよくよく調べた方がいいと思う。
作成日 2018.7.22(最終更新日 2021.3.21)
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