正徳町にある神明社3社のうちのひとつ(あとの2社は熱田新田二十番割の氏神だった正徳町1丁目の神明社と二十二番割の氏神だった正徳町2丁目の神明社)。 この正徳町5丁目の神明社は他の2社と比べると規模も小さく、番割の氏神といった神社ではなさそうだ。番割でいうと二十四番か二十五番割に当たるだろうか。 境内に遷宮祭記念と刻まれた石碑があるから、どこか別の場所にあったものを移したのかもしれない。そうだとして、旧地が正徳町内なのか別の町なのかは分からない。 石碑にはふたつの日付があり、古い方には昭和五十年十月四日とあり、新しい方には平成六年十月一日とある。社号標の裏も平成六年十月一日となっているので、平成6年に何らかの造営をしたようだ。
向かって左手には倉庫のような建物があり、右手には正徳四・五・六丁目集会所がある。こちらが社務所にもなっているのかもしれない。 境内はこぢんまりしているものの、鳥居、蕃塀、灯籠、社、賽銭箱、蝋燭立てなど、一通り揃っている。形のいい松の木が入り口と社の奥に植えられていて、箱庭神社といった風だ。 それにしても、蕃塀が金属製というのは珍しい。ステンレスのようにも見えるけど鈍く銀色に光っていて素材がよく分からない。
今昔マップを見ると、正徳町の全域は戦中まで長らく田んぼ地帯だったことが分かる。民家は少ない。 正徳町の中でも西側の正徳5丁目あたりは戦後いち早く宅地化されたところで、1947年の地図では多くの建物が整然と並んでいる。これは一般の民家だろうか。社宅か何かかもしれない。
境内にある古い石柱の裏に「昭和三十一年十月七日 明徳温泉」とある。 正徳4丁目にあったという明徳温泉が寄進したものらしい。今はもうその銭湯はない。それでもこうして石柱を破棄せずに残しておくのはいいことだと思う。これも神社の歴史のひとつだ。 ちなみに、港区に残っている銭湯は、野跡の永徳温泉、錦町の草津湯、佐野町の長命温泉、九番町の辰巳温泉の4軒だ。 私は銭湯に行く習慣がないのだけど、銭湯の煙突がある風景は好きでよく撮っている。東区の風景が印象的で銭湯の多い町という気がしていたのだけど、一番多いのは中村区でまだ15軒が営業しているようだ。南区にも11軒ある(いずれも2018年7月現在)。 ここ数年でもどんどん減っているので、やがて消えゆくのかもしれない。
正徳5丁目神明社について分かることは少ない。集会所に集まっている人に訊ねれば何か教えてもらえるだろうか。
作成日 2018.7.31(最終更新日 2019.7.26)
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