不明社(御器所3)

透明ケースに囲われた頭上社

御器所3不明社

読み方 ふめい-しゃ(ごきそ3)
所在地 名古屋市昭和区御器所3丁目602 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 不明
祭神 熱田神(あつたのかみ)
秋葉神(あきばのかみ)
津島神(つしまのかみ)
御器所八幡神(ごきそはちまんのかみ)
アクセス 地下鉄鶴舞線「荒畑駅」から徒歩約3分
駐車場 なし
webサイト  
オススメ度

 御器所3丁目の天池どんぐりひろばにある社。
 見上げる頭上にあって、三方をアクリル張り(?)で囲われていて、ちょっと驚きのけぞった。なんだこりゃ、と思う。
 別にウケを狙ったわけではなく(当然だ)、かつての屋根神様を擬似的に再現しようとしてこういうことになったようだ。でもやっぱり、ちょっと笑える。

 祀っているのは熱田社・津嶋社・秋葉社と氏神の御器所八幡神で、これは昭和区の御器所一帯にある小さな神社と同じパターンだ。
 荒畑駅から北に点在している小神社は昭和初期に町が独立して祀るようになったものが多く、それとは別に屋根神様だったものを地上に降ろして祀るようになったものもある。
 天池どんぐりひろばにある社がどちらのパターンだったのかは分からない。現在は200軒ほどが氏子になっている町内社という位置づけのようだ。

 どんぐりひろばの名前の天池はかつてのこのあたりの町名だ。
 龍興寺(りゅうこうじ 地図)の南に新雨池(龍興寺ヶ池とも)という大きな溜め池があり、大正5年(1916年)に新雨池を埋め立てて町を作ったことで天池町と名づけられた。
 この池には龍神が棲むという話があり、池がなくなって住み処を失った龍神のために建てたのが八大龍王社地図)だ。
 龍興寺は戦国時代の1533年頃に、御器所城主だった佐久間盛次が創建したとされる寺で、佐久間一族の菩提寺になっている。
 第二次大戦の空襲で焼けて、昭和53年(1978年)に東京芝白金台にあった大日本製糖社長の藤山雷太の邸宅を移築して本堂としている。設計は関西建築界の父といわれた武田五一によるものなので一見の価値がある。
 御器所は昭和47年(1972年)に島退町、洲原町、都島町、東郊通、天池町、御器所町、桜井町の各一部より成立した。
 名古屋の人間なら御器所は「ごきそ」と読むことを知っているだろうけど、昭和の一時期、「ごきしょ」といっていたことを知っている人は多くないかもしれない。行政上、読みやすいようにということで「ごきしょ」にしたものの、あまりにも浸透しないので平成になって「ごきそ」に戻したという経緯がある。

 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、新雨池は龍興寺の南から東にかけて広がる大きな池だったことが分かる。
 池の南に御器所村の集落があり、こちらも大きかった。
 御器所村の東には新雨池以上に大きな広見池(広見ヶ池)という溜め池があった。そちらも埋め立てられて今は向陽高校(地図)や桜山中学が建っている。
 新雨池が埋め立てられた大正5年から昭和初期にかけて、かなり急速に住宅地となったようで、昭和7年(1932年)の地図では相当数の家が建っている。
 第二次大戦の空襲で一部が焼けたようだけど、戦後早くから住宅地として発展を続けたことが地図の推移から見てとれる。

 こういった土地の歴史を踏まえると、この社はもともとどこかの家の屋根神として祀られていたものか、昭和初期に町ができて町内で祀るようになったかのどちらかと考えられる。
 どんぐりひろばが作られるようになったは昭和42年(1967年)からなので、ここに置かれるようになったのはそれ以降ということになる。
 なかなか他では見られないユニークな祀られ方をしていて記憶に残る。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

天池どんぐりひろば入り口の頭上社

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