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遠若神社

遠若の由来はちょっと面白い

遠若神社

読み方 えんじゃく-じんじゃ
所在地 名古屋市港区遠若町1丁目 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 不明
祭神 不明
アクセス あおなみ線「稲永駅」から徒歩約23分
駐車場 なし
その他  
オススメ度

 遠若町(えんじゃくちょう)にあるから遠若神社。町名神社で由緒や祭神などはまったく分からない。
 遠若町の南端で、道が交差する三角地帯に鎮座している。フェンスで囲まれていて中に入ることができない。
 板宮造の簡素な社で、見た目から祭神を言い当てるのは無理だ。
 小さな狛犬が二体、地面に置かれている。
 社の前に赤レンガを円状に積み上げているけど井戸だろうか。違うかもしれない。何しろ近づけないのでどうしようもない。
 フェンス前に鳥居があって、門に賽銭箱が取り付けてある。必然的にその位置から参拝することになる。ちょっと遠い。
 この神社に関する情報がまったく得られず、いつ誰がどこにどんな神を祀ったのが始まりなのか、一切分からない。お手上げだ。

 ここは熱田前新田の西の端で、荒子川の河口近くだ。新田の神なのか、水の神なのか、町内の守り神なのか。
 荒子川は中川区八田町の八田公園付近から始まり、中川区、港区を南下して名古屋港に注いでいる。
 かつては悪水を流した悪水川で、上流部を柳瀬川(やなせがわ)と呼び、荒子村から荒子川と呼んでいた。現在は柳瀬川の区間は暗きょ化されている。
 大正時代、この荒子川を運河にする計画が持ち上がった。堀川や中川だけでなく、山崎川や大江川、荒子川も運河にしてしまう名古屋大運河構想があったのだ。
 実際、大正時代の終わりから昭和初期にかけて一部の開削工事も行われている。しかし、その後話し合いがこじれて計画が進まず、結局は中途半端な形で実現されなかった。水路輸送よりも陸路輸送が発達したという時代の流れもあった。
 昭和30年代以降は川の汚染が進んだものの、水処理施設の建設などもあり、近年は水質は改善している。ただし、工場排水も流れ込み、その水温が高いため、ナイルティラピアが大繁殖するという事態に陥っている。ナイルティラピアは食べると意外と美味しいらしいのだけど、この川で獲れたと思うとなかなか食べる気にはなれない。

 神社西の荒子川公園は昭和54年(1979年)から整備された都市公園で、平成5年(1993年)に荒子川公園ガーデンプラザができた。
 名古屋市内では珍しいラベンダー園があることでも知られている。ただし、あまり期待して行くと規模の小ささにがっかりする。
 荒子川公園の南に中州がある。これは荒子川フェニックスアイランドと名づけられた人工の島で、昭和62年に作られたものだ。
 名前の通りフェニックスやワシントンヤシ、ココスヤシなどが植えられて南国ムードを漂わせている。
 荒子川公園を縦断していくあおなみ線は、正式名を名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線といい、平成16年(2004年)に名古屋駅と金城ふ頭駅の間で開業した。
 住人以外は金城ふ頭へ行くときくらいしか利用しないという人も多いと思う。金城ふ頭に用事がない人にとっては存在してないも同然の路線かもしれない。

 遠若町(えんじゃくちょう)の名前の由来がちょっと面白い。
 ここは熱田前新田の「をの割」・「わの割」・「かの割」に当たる地区で、「遠」は「を」の元の字で、「若」は「わ」と「か」で、それらを組み合わせて遠若としたというのだ。
 それほど古い町名ではなく、昭和36年(1961年)に寛政町の一部より成立した。
 寛政町は熱田前新田の開発が1800年から1801年で、1800年が寛政12年に当たることから来ている。
 今昔マップを見ると、このあたり一帯は明治から戦後まではずっと農村地帯だったことが見てとれる。宅地化されて住居が増えたのは昭和30年代以降のことだ。
 そういった歴史的な流れからして、この遠若神社もおそらく戦後の創建ではないかと思う。

 歴史的にどうだったにせよ、今は遠若町の町内神社といったところだろうか。残念ながら分かることはほとんどなく、これ以上知るには近所の人か関係者に話を聞くしかない。

 

作成日 2018.6.30(最終更新日 2019.7.19)

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

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