白龍大明王(桶狭間北地蔵堂)

地蔵と龍神も春を待つ

桶狭間北白龍大明王

読み方 はくりゅう-だいみょうおう(おけはざまきた-じぞうどう)
所在地 名古屋市緑区桶狭間北2丁目 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 不明
祭神 地蔵池の主・白龍神・地蔵など
 アクセス 名鉄名古屋本線「有松駅」から徒歩約20分
地蔵池バス停留所」すぐ
駐車場 なし
webサイト  
オススメ度

 地蔵池の北にお堂と社のような屋根を持つ堂が二棟並んでおり、社状の堂の中には「白龍大明王」・「地蔵池主大神」・「白天龍王」と刻まれた石塔が祀られている。その手前には龍像も置かれている。
 向かって右手は地蔵堂で、地蔵石塔道標や大日如来石像など四体が納められている。
 その堂の前には十一面観音石像が置かれている。

 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、現在北側の広場になっているところまで地蔵池の水が来ていたことが分かる。地蔵堂は池のほとりにあっただろう。
 地蔵池主大神は文字通りこの地蔵池の主を祀ったものに違いない。白龍大明王と白天竜王については分からないのだけど、龍神か蛇神に関する民間信仰から来ているであろうことは予測がつく。
 地蔵池の名前は地蔵堂から来ていて、その逆ではない。こういった大きな溜め池は室町以前に造られることは稀で、この池も江戸時代になって田畑で農作物を育てるために掘られたと考えられる。
『寛文村々覚書』(1670年頃)に「有松道池」とあるのがそうなので、江戸時代前期にはすでに造られていたことが分かる。「鳴海道池」とも呼ばれていたようだ。

 地蔵堂の由来として桶狭間には「ごんべい谷」という民話が伝わっている。
 孫娘を鷲(ワシ)にさらわれた権平さんは孫娘を追いかけおいかけしたけど見つけられずついには池のそばで力尽きてしまう。そこで村人たちは権平さんの霊を慰めるために池のほとりに地蔵を祀ったというお話だ。
 こういった昔話はまったくの作り話ではなく、何か元になった出来事があったはずで、この場合は娘をさらっていったのはワシではなく他の誰か、もしくは勢力だったのかもしれない。
 毎年春の彼岸の入りに地蔵堂に餅を供えて供養しているそうだ。

 桶狭間ではこの地蔵堂の他に南、中、北の町でそれぞれ地蔵を祀っていた。上ノ山の霊園、慈雲寺門前(昭和20年までは現在の南町公会堂横にあった)、長福寺にそれぞれ残っている。

 地蔵池北の広場には桜が植えられていて春には桜の花が咲く。
 毎年4月の初めに地蔵池・大池桜まつりが行われている。
 そのときでも地蔵堂に意識を向ける人はあまり多くないだろうけど、龍神さんも地蔵さんも毎年春を楽しみにしているんじゃないかと思う。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

桶狭間北の白龍大明王と地蔵堂

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