名古屋港の総鎮守で、港区を代表する神社のひとつ。 ただし、創建は昭和13年(1938年)と新しい。
名古屋港だけでなく港区全域は江戸時代以前は海だった。福田新田(1640-1643年)の開発に始まり、熱田の南西が干拓によって陸地化されて新田が作られ、明治時代の埋め立てによって名古屋港が作られた。名古屋港の開港は明治40年(1907年)のことだ。 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)と大正9年(1920年)を見比べるとこの間に激変している様子がよく分かる。 それまで名古屋の港は熱田湊だった。江戸時代に東海道の宮宿として整備される以前から熱田には湊があり、信秀・信長父子も熱田湊を押さえていた。 熱田からは堀川で名古屋城まで結んでいたので利便性はよかったものの、海が遠浅で大型船をつけることができないという問題があった。 そこであらたに建造されたのが名古屋港だった。当然ながらこのあたりにある神社の創建はそれ以降ということになる。
築地口のあたりも大正から昭和にかけて人口が増え、神社のひとつも欲しいということになり、昭和8年(1933年)に国に嘆願書を出し、翌年認可が下りて建て始め、完成したのが昭和13年(1938年)だった。 熱田神宮(web)からスサノオを勧請して建てたのがこの築地神社だ。 しかし、何故熱田神宮からスサノオを勧請したのだろう? 熱田神宮なら熱田大神か、ヤマトタケルか、アマテラスあたりを勧請するのが普通だ。あえてスサノオを熱田神宮から勧請したのには理由があったはずだけど、それがよく分からない。このとき住人たちの間でどんな話し合いがあったのだろう。 港やそこで働く住人の守り神としてなら海の神を祀るのが自然だ。スサノオにも海の神という属性がなくはないけど、スサノオは海原の支配を命じられてそれが嫌で暴れて高天原を追い出されたとされていることからすると港を守ってもらうには向かない神に思える。 海の神というなら、住吉大社(web)や宗像三女神の宗像大社(web)の方が適任だろうし、スサノオがよければ津島神社(web)からでもよかった。 名古屋の他の神社で熱田社からスサノオを勧請して神社を創建したという話は知らない。昭和10年前後のことだから、そんなに昔の話ではない。
そのあたりの経緯について『愛知縣神社名鑑』はこう書いている。 「昭和9年1月23日、神社創立を許可あり、昭和13年1月23日官幣大社熱田神宮にて神霊を勧請し、名古屋港総鎮守として奉斎する。昭和19年9月1日村社に列格、同日、供進指定をうける。昭和20年5月空襲で被災、同年12月8日、郷社に昇格する。社司大原次郎吉同12年11月(ママ)拝命した。昭和32年7月20日本殿、昭和36年7月18日拝殿を造営する。さらに昭和51年5月29日、社務所を改築した。境内神社 築地霊社 出雲社 秋葉社」 ここには書かれていないけど、昭和34年(1959年)の伊勢湾台風ではかなり被害を受けたようだ。
毎年5月13日、熱田神宮で神様の衣替えの儀式、御衣祭 (おんぞさい/web)が行われる。私もかつて撮りにいったことがある。 熱田神宮の御衣祭(ブログ記事) そのときの奉納行列は、この築地神社の斎機殿(いみはたどの/神のための衣を織る建物)から出発する。これは熱田神宮の旧神楽殿を移築したものだ。 今はバスで向かうようなのだけど、かつては堀川を船で行ったそうだ。
昭和前期の創建とはいえ、80年以上の歳月が流れ、境内の木々も大きく育った。緑が少ない名古屋港エリアの中で、ここだけ異空間めいた鎮守の杜となっている。 この神社の空気感はなかなかいいと思った。もし都心部にこの神社があったら特別なものは感じなかったかもしれない。名古屋港にあるからこそいい神社といえる。
作成日 2017.2.16(最終更新日 2019.8.5)
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