稲荷社(栄生)

西区の「さこう」稲荷

栄生稲荷社西鳥居

読み方 いなり-しゃ(さこう)
所在地 名古屋市西区栄生町2-20-19 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 無格社・十四等級
祭神 宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)
アクセス

・名鉄名古屋本線「栄生駅」から徒歩約6分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 栄生駅(地図)の北西、感覚でいうと栄生駅の表にある神社。
 栄生駅のすぐそばということで中村区かと思ったら西区だった。
 名古屋の繁華街、栄の地名はここ栄生の村人が店を出したことに由来するという話を六生社のところで書いた。
 かつてここは「さこ」村で、庄内川が砂を運んでできた土地という意味の「砂処」もしくは狭い場所を意味する「狭処」だったのを、めでたい文字の栄を当てて「さこ」村と呼んでいた。
 栄町の方がよく知られるようになったため、栄村は栄町を生んだところということで栄生としたとされる。
 栄生は名古屋の難読地名のひとつとしてよく採りあげられる。名古屋の人間ならたいてい「さこう」と知っていると答えるだろうけど、実はそう単純ではない。
 もともと「さこ」だった呼び名が「さこう」と呼び習わされるようになり、「栄生」の字を当てたことで、なんとなく「さこう」が定着してしまったのだけど、実際は今でも「さこ」が正式な読み方だ。
 しかしそれは、栄生駅の西側にある栄生町の話で、栄生駅の東側にある栄生1から栄生3は「さこう」を正式な読み方としている。
 なので、西区にある栄生駅は「さこう-えき」で、中村区にある名古屋栄生局などは「さこ-きょく」となっている。
 それを厳密に使い分けている人は少ないと思うけど、名古屋の人間なら豆知識として覚えておいて損はないかもしれない。

 この神社について『愛知縣神社名鑑』はこう書いている。
「この社地は愛知郡栄村字松裏で氏神六生社の旧社地、慶長八年(1603)栄生町1丁目に遷座せられた。跡地に伏見稲荷社を勧請鎮祭すと、明治6年、据置公許となる」

 1603年といえば、家康が江戸幕府を開いた年で、名古屋城はまだ築城の計画すらない頃だ。この頃の終わりの首府は清洲城の清洲で、名古屋城が建つ場所は那古野城が廃城になった跡地だった。
 六生社は現在、中村区栄生町にある。言い伝えでは野武士が襲うようになったから遷座したというのだけどよく分からない。
 六生社の旧地は清洲と熱田方面をむすぶ美濃路から少し南に入ったところで、栄村はわりと古くからある集落だった。ただ、それは六生社旧地よりも少し西で、現在でいうと鉄道線路の西側だ。そもそも村はずれに村の氏神である六生を建てた理由もよく分からない。
 いずれにしても、六生社の旧地に伏見稲荷から勧請して建てたのがこの稲荷社ということになる。時期としては1603年以降の江戸時代のいつかということだ。名古屋城築城と清洲越しが1610年から1613年頃だから、それ以降の可能性が高い。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

栄生稲荷社は栄生駅の表か裏か

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