千代保稲荷神社名古屋支所

源氏の末裔は八幡神ではなく稲荷神を祀った

千代保稲荷神社名古屋支所

読み方 ちよぼいなり-じんじや-なごやししよ
所在地 名古屋市千種区園山町1-64 地図
創建年 昭和27年(1952年)
社格等 不明
祭神 大祖大神(たいそおおかみ)
稲荷大神(いなりおおかみ)
祖神(そしん)
アクセス

・地下鉄名城線「名古屋大学駅」から徒歩約9分
・駐車場 あり(無料)

webサイト  
オススメ度

「おちょぼさん」の愛称で知られる岐阜県海津市の千代保稲荷神社(地図)の名古屋支所が名古屋大学の裏手にひっそりとある。
 一部では有名なのだろうけど私はおととし2016年に初めて知って訪ねていった。

 本家の千代保稲荷神社の歴史は平安時代末までさかのぼる。
 源八幡太郎義家の六男の義隆が分家する際に森の姓をもらいうけて、先祖の御霊を千代に保てと、霊璽(れいじ)と宝剣と義家の肖像画をもらい、それを祀ったのが始まりという。
 千代保稲荷の千代保はここから来ているとされる。
 神社としては室町時代中期の文明年間(1469-1486年)に、子孫の森八海が伊勢から移り住んで現在地に祖神を祀ったのが始まりだ。
 現在の宮司は森八海から数えて19代に当たるという。

 八幡太郎義家といえば源頼朝や足利尊氏の祖先で、武勇に優れた人物であり、源氏の象徴ともいえる武将だ。
 源頼義の長男として河内源氏の本拠地である河内国石川郡壺井(大阪府羽曳野市)で生まれ、山城国の石清水八幡宮(web)で元服したことから八幡太郎を名乗るようになった。
 前九年の役で武功をあげ、後三年の役を鎮圧して名声を獲得した。
 その後、関東で源氏の基盤を作り、それが鎌倉幕府へとつながっていくことになる。
 義隆は千代保稲荷神社の由緒では六男ということになっているけど、七男という説が一般的で、陸奥七郎などと称した。
 始め
相模国毛利庄(神奈川県厚木市毛利台)を領しており、平治元年(1159年)の平治の乱に参戦して平氏に敗れ、落ち延びていく途中で武者狩りの僧侶の矢に当たって絶命したと伝わっている(1160年)。

 それから300年余りが経って文明年間に子孫の森八海が須脇の里で祖先の霊を祀る神社を建てたということになる。
 この森八海に関してはどこで生まれて何をした人物だったのか調べがつかなかった。千代保稲荷の縁起に出てくるくらいで、伊勢から移って須脇の地を開いたということくらいしか情報がない。
 文明年間の1469-1486年といえば、1467-1477年の応仁の乱とちょうど時期が重なる。戦争が起きているのは京都の話で、伊勢や美濃の人たちにとっては他人事だっただろうか。
 それにしてもどうして稲荷だったのか? 八幡太郎義家の家系ならバリバリの源氏で、源氏といえば八幡社と相場が決まっている。森八海の頃はもはや武士ではなく商人か農民になっていたというのか。
 稲荷社が爆発的に増えるのは江戸時代のことで、室町時代といえば八幡社はまだ全盛期を保っていたのではないか。あえての稲荷社だったのか、稲荷社になったのはもっと後の時代だったのか。
 ちなみに、大阪府羽曳野市壺井にある壷井八幡宮(web)は、源頼義が石清水八幡宮から勧請して建てたものだ(1064年)。
 頼義は東国の拠点として鎌倉にも石清水八幡宮から勧請して氏神を祀った。それが鶴岡若宮で、後の鶴岡八幡宮(web)だった。
 頼朝が鎌倉幕府を開いたときに、河内源氏の総氏神を壷井八幡宮から鶴岡八幡宮に移している。

 千代保稲荷はどうして商売繁盛の神社としてあそこまで発展したのか、そのあたりの経緯がよく分からない。
 参道には120店もの店が並び、毎日が縁日のような賑わいで、年間250万人以上の参拝者が訪れる大観光地となっている。
 その一方で、祖先の霊を守る神社ということで、お札やお守りのたぐいは一切出していない。
 つまり千代保稲荷は、今でも森さんが祖先の霊を祀る個人宅の神社という言い方もできるということだ。

 千種区の園山町に名古屋支所ができたのは戦後の昭和27年(1952)年のことだ。
 海津市までは遠いから名古屋にも分社が欲しいということだったのだろうか。本家の千代保稲荷は交通の便が悪いところで、公共交通機関を利用する場合は鉄道とバスを乗り継いでいかないといけない。
 名古屋支所の宮司は現19代目当主の弟さんらしいので、そのあたりの事情もあったかもしれない。
 商売繁盛の祈願や仕事関係で訪れる人が多いようで、拝殿の格子にはたくさんの名刺が刺してある。いつ誰が始めたことかは知らないけど、今ではそれがすっかり定着してしまった。そんなふうに名刺がたくさん差してある神社は他では見たことがない。
 境内には桜の木があり、ちょっとした桜名所となっている。場所柄、春には名古屋大学の学生たちが花見や宴会に訪れるそうだ。
 本家とは違って普段はわりと静かな境内も桜の頃には賑わうのだろう。それはそれで神社の楽しみ方として間違ってないと思う。神社は人が寄り集まる場を提供するという役割も担っているから。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

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