多奈波太神社

縄文から続く棚機津女の幻を見るか

多奈波太神社鳥居と拝殿

読み方 たなばた-じんじゃ
所在地 名古屋市北区金城4丁目13-16 地図
創建年 不明
社格等 村社・七等級
祭神

天之多奈波太姫命(あめのたなばたひめのみこと)

應神天皇(おうじんてんのう)
大山津見神(おおやまつみのかみ)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
大己貴命(おほなむちのみこと)

 アクセス

・地下鉄名城線「名城公園駅」から徒歩約8分。
・駐車場 あり

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オススメ度

「たなばた」神社の名前の通り、七夕や棚機に関係があるのだけど、その前に、この神社はいつ、どの場所に創建されたかが最大のポイントとなる。
 現在は、名古屋城天守(地図)から見て約1キロ北東の黒川北岸にある。江戸時代には確かにここにあったことが『尾張志』などから分かる。深い森に囲まれていて、七夕(多奈波太)の森などと呼ばれていたという。
 問題は、名古屋城築城の際に現在地に移されたという言い伝えがある、という点だ。
 のちに三の丸となる場所(地図)にあった若宮社天王社については遷座のいきさつや記録がはっきり伝わっているのに、何故か多奈波太神社はそうではない。これがどうにも解せない。
 津田正生は『尾張国神社考』の中でこう書いている。
「旧地は、御深井(おふけ)の郭内(かくない)に入て、今は其の地さへ詳(さだか)に知る者なし」
 これはとても重要な証言だ。
 御深井というのはやっかいな言い回しというか表記で、名古屋城天守の北西に張り出した部分を御深井丸(地図)という他、その外の堀は御深井堀で、現在の名城公園(地図)を含む一帯を御深井の庭と呼んだ。なので、御深井にあったということが城内のことなのか城外のことなのか判断が難しい。
 ただ、郭内というからにはやはり城郭内の御深井丸の場所ということなのだろう。だとすれば、これは大変意味のある見逃せない事実ということになる。
 御深井丸のあたりは熱田台地(名古屋台地)の北西の縁で、そのすぐ北は10メートルも高低差がある断崖だった。古代、崖下は入り海で、名古屋城築城時でさえ沼地だったという。
 当然ながら多奈波太神社が創建されたときはまだ名古屋城はなく、もちろん、北の堀もない。台地の上も、二の丸から本丸、御深井丸にかけては一部が沼地だったとされる。
 どうして御深井丸の場所に多奈波太神社があることがそんな重大かといえば、すぐ南の三の丸となる場所に若宮社と天王社があったからだ。若宮社と天王社は南北に並んでいたというから、多奈波太神社とはほぼ直線上に3社が並んでいた時期があったということになる。その距離は約400メートル。それぞれが広大な境内を有していたであろうことを考えると、ほとんど地続きといってもいいくらいだ。だとすれば、3社が無関係なはずはない。
 若宮社の創建は、大宝年間(701-704年)とも、天武天皇時代(在位673年-686年)ともされる古い社だ。これだけ古い社が『延喜式神名帳』に載っていないのは不自然で、個人的にはこれが式内・孫若御子神社ではないかと思っている。
 天王社の創建は911年(延喜11年)と伝わる。
 多奈波太神社の創建については詳しいことが伝わっていないものの、『延喜式神名帳』にある「山田郡多奈波太神社」で異論は出ていない。
 だとすれば、多奈波太神社が創建順でどこに入るかということになるのだけど、私はこれが一番古いんじゃないかと考える。天之多奈波太姫命(天之棚機姫命)を祭る多奈波太神社という名前がその理由だ。

 天之多奈波太姫命は『古語拾遺』に出てくる。アマテラスが天岩屋に隠れて出てこなくなったとき、献上する衣を織った神として登場する。
 別名を天之八千千比売命(あるいは母子)といい、アマテラスが高天原にいるとき、蚕の繭からとった絹糸で衣を織って作ったともされる。
 棚機津女(たなつめ)と呼ばれた女性がいる。日本古来の思想であり、風習であり、伝統、祈りの象徴的な存在だ。 
 旧暦の7月15日に、水の神が天から下りてくると信じられていて、海や川のほとりに棚(神聖な借宿)を建て、村の中で選ばれた穢れのない少女がその中で機(はた)を織って神に捧げる儀式が行われていた。
 それは同時に少女自身を神に捧げ、客神(まろうど)の一夜妻になって神の子を宿すということも意味した。
 そんな儀式が縄文の昔から続いたという。
 縄文時代までは確かにこのすぐそばまで入り海が来ていたことは発掘された貝塚などから分かっている。その後、弥生時代から古墳時代にかけて徐々に海岸線は後退したとされるのだけど、個人的にはそれに少し疑問を抱いている。
 名古屋北西部の内陸深い土地にいくつも島が付く地名が残っている。津島、長島、枇杷島、沖島、中島郡一宮などがそうだ。更に北の岐阜県にも東島、大島、西島、福島などの地名がある。これらの地名が縄文時代に付けられて今まで続いているというのはちょっとないんじゃないだろうか。少なくとも古墳時代くらいまでは相変わらず海岸線はぐっと内陸まで入り込んでいて、海面が少し低くなったことで高地が島化して名付けられたのではないのか。
 多奈波太神社のルーツが棚機津女にあるとするならば、そこには当然、水がなければならない。
 現在地のすぐ南を流れている黒川は明治になって掘られた人口の水路でだ(その前は江戸期に掘られた御用水と呼ばれる水路だった)。庄内川は近いところでも2キロ以上離れているから遠すぎる。
 神社創建の時代はもっと後としても、棚機津女の棚が建てられた頃は海辺だったと考えていいと思う。多奈波太神社の起源は、縄文、弥生時代までさかのぼれるかもしれない。
 七夕は、もともと中国の五節句のひとつ「しちせき」から来ている。
 旧暦7月7日、庭に竹を立て、短冊に願いを書いて牽牛星と織女星を祭る行事だった。
 女性が裁縫の上達を織女星に願う乞巧奠(きっこうでん)が中国から伝わったのが奈良時代とされている。
 それが棚機津女と結びつき、宮中で行われる七夕となり、庶民の間にも広がっていき、七夕まつりとして定着した。

 戦国時代になって、駿河の今川氏親が尾張の地を支配したとき、その前線基地として柳ノ丸を築いたのが那古野城の始まりとされる。それはのちの名古屋城の二の丸となる場所(地図)にあった。
 織田信秀がその城を奪い、増築して那古野城と名付けたのが1532年。
 2年後の1534年に信長は那古野城で生まれたとされる(勝幡城誕生説もある)。
 1555年に清洲城に移るまで信長は那古野城主としてこの地で過ごしている。
 その信長によって多奈波太神社は焼き討ちにあったという話が伝わっている。そのとき社殿とともに伝書なども失われてしまったという。兵火にあったというなら合戦の最中に燃えたということになるけど、焼き討ちというのはどういうことなのか。
 信長は若い頃からうつけと呼ばれる持てあまし者で、後年の残忍なイメージが強いけど、若い頃はけっこう神社を大事にしている。桶狭間の戦いに臨んだときも、熱田神社をはじめ、白山社や日置社などで戦勝祈願を行っているし、勝ったあとはお礼として松林や信長塀などを贈るという律儀さも見せている。理由もなく神社を焼いたりはしない。当然、信長も、この神社が古い由緒のある神社ということは分かっていたはずだ。その理由がなんだったのかは、今となっては分からない。信長がやったことではない可能性もある。
 那古野城時代を考えると、二の丸に那古野城があり、三の丸に若宮と天王社、御深井丸に多奈波太神社という配置となる。周辺には沼地が広がっている。
 信長が清洲へ移ってほどなくして那古野城は廃城となっている。50年近く経ったのち、家康がこの場所に目を付けてあらたに名古屋城を築城するとなったときは、森と沼地と荒れ果てた城跡と神社があるだけの場所だった。
 ただ、城下まで含めた城郭を築くことを考えると、この場所はとてもいいことにあらためて気づく。北と西は断崖で堀さえできれば守備のことは考えなくていいし、南と東は平地が広がっていて城下の発展性がある。台地なので地盤も頑丈だし、水難の恐れも低い。沼地の克服にはだいぶ苦労したようではあるけれど、ここに目を付けた家康はやはり先見の明があった。
 名古屋城築城後、尾張藩によって多奈波太神社は改修され、東照宮の管轄となるとともに一般人は立ち入り禁止とされた。これも理由がよく分からない。もともと藩主が創建したわけでもない神社をどうして急に閉ざしてしまったのか。何か特別な理由があったのだろうか。
 ただし、毎年旧暦7月7日の七夕まつりのときだけは庶民に開放され、藩主も訪れ、大勢の人で賑わったという。
 明治に入ると、今度は突然、八幡社になってしまう。これも理由がさっぱり分からない。
 明治5年(1872年)に村社に列格。
 明治9年(1876年)には、名古屋城に名古屋鎮台が置かれることになり、三の丸にあった天王社と東照宮は城外に移されることになる。
 庭園になっていた御深井の庭は陸軍のものとなり、木々は切り倒され、沼地は埋められ、広大な土地は練兵場になった。
 昭和20年(1945年)の名古屋空襲で社殿を焼失。
 昭和39年(1964年)に再建。

 縄文から現代まで、非常に長い時を、様々な変遷を経ながら多奈波太神社は過ごしてきたことになる。街中に取り残されたように建つ今の姿からその歴史を思うことは難しい。
 海辺の棚で機を織る少女はどんな気持ちだったのだろう。星に願いを、そんなロマンチックなものではなかっただろう。
 多奈波太神社では今でも旧暦7月7日に七夕まつりが行われている。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

多奈波太神社は七夕と棚機の神社

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