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七本松神社

残ったのは七本松の地名と小さな神社だけ

七本松神社

読み方 しちほんまつ-じんじゃ
所在地 名古屋市中区千代田3丁目17 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 不明
祭神 不明
アクセス 地下鉄鶴舞線「鶴舞駅」から徒歩約7分
駐車場 なし
その他  
オススメ度

 ここは前津小林村と御器所村の村境で、七本の大きな松があったことから七本松と呼ばれていたという。
 江戸時代にはすでに二本だとか三本だとかになっていたようで、最後の一本も大正時代に枯れてしまったとのことだ(空襲で焼けたという話もある)。
 昭和7年から昭和44年まであった七本松町(しちほんまつちょう)の町名も今はもうない。通りや公園の名前として残っているくらいだ。

 七本松にある神社だから七本松神社ということなのだろうけど、地名が社名になると神社の本体が分かりづらくなる。
 江戸時代のここは前津小林村の村域内だっただろうか。
 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、常盤七本松とある。
 鳥居マークが描かれているのだけど、これが七本松神社か。だとすれば今とは場所が違っていて、大須通の鶴舞公園前交差点と千代田交差点の間に当たる。道路が作られたときに現在地に移された可能性が考えられる。
 初めから七本松神社だったのか別の名前だったのかは分からない。江戸時代の書でもこれに相当するような神社は見つからない。他からも情報が得られずお手上げとなってしまった。祭神や神社の系統すら推測不能だ。

 江戸時代後期の天保2年(1831年)、この七本松に願掛けをしたら願いが叶ったという話が知れ渡り、多くの人が願掛けにやって来たという話が伝わっている。
 七本松神社と七本松の願掛けがつながっているかどうかは分からない。

 大池も七本松もなくなり、風光明媚な行楽地だった前津小林の面影は今の千代田にはない。精進川も新堀川という人工運河に変えられ、風情も何もあったものではない。
 町が発展していくためには仕方がないことといえばそうなのだけど、急ぎすぎた開発によって失われたものは少なくない。ある時期の日本人は、将来を考えて何を残すべきなのかということが分かっていなかった。
 そんな中、この小さな七本松神社だけでも残ったことでよしとすべきだろうか。この神社にまつわる物語のひとつでも伝わっていればもっとよかったのだけど。

 

作成日 2017.8.7(最終更新日 2019.3.11)

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