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小社(竹橋町)

竹橋町の町内神社か否か

竹橋町不明社

読み方 しょうしゃ(たけばしちょう)
所在地 名古屋市中村区中村町竹橋町25-12 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 不明
祭神 不明
アクセス 地下鉄桜通線「中村区役所駅」から徒歩約4分
駐車場 なし
その他  
オススメ度

 隣が特殊浴場でそちらに向かって参拝する形になる。めったにないロケーションだ。熱田区金山の八白龍神社がラブホテルに向かって参拝する格好になるのと同じくらいのインパクトがあった。
 神社は建物の角の窪地にこそっと収まっているので、特殊浴場の神社かとも思ったのだけど、神社が先にこの場所にあって、建物を建てるときにそのまま残したのでこういう格好になったとも考えられる。
 神社はなかなか古びているし、境内の蝋燭立てには「町内安全」とあるから、竹橋町の町内神社かもしれない。
 どういう神を祀るどんな神社かはまったく不明だ。現地でも手がかりは得られなかった。
 銅製のような鳥居から出た錆だろうか。境内は全体に赤茶色く錆びついている。まるで島か海辺のようだと思ったのだけど、ここから海は遠い。どうしてここだけこんなに錆びているのかは謎だ。隣から酸性の液体でも流れてきているのか。
 社は流造で、外削ぎの千木と三本の鰹木を持っている。神明社や熱田社ではなさそうだ。
 屋根神様といえばそうなのかもしれないけど、秋葉社といった雰囲気でもない。
 300メートルほど西南に若宮八幡社(西米野/地図)があって、そこと関係がないだろうか。

 神社がある竹橋町は、名古屋人がいうところの「駅西」で、かつて中村遊廓があった大門(おおもん)と名古屋駅のちょうど中間くらいに当たる。
 大門は遊廓だった頃の名残で、今でも名古屋では数少ない特殊浴場集中地区となっている。神社横の末広もその一角ともいえるし、少し距離があるから別のエリアというべきか。
 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、神社があるあたりは集落から離れた完全な田んぼ地帯だったことが分かる。北に則武村、南に笈瀬村があり、田んぼは笈瀬村のものだろうか。
 1920年(大正9年)の地図を見ると、今の中村区役所がある場所に工場が建っている。
 大正時代まではまだ田んぼ地帯だったのが、昭和に入ると急速に都市化して田んぼが消えた。1932年(昭和7年)の地図では街中になっている。
 竹橋町は昭和15年(1940年)に米野町の一部より成立した。
 竹橋と呼ばれる小塚があったことが由来というのだけど、その塚がどういうものかは調べがつかなかった。塚といえば墓を連想するけど違うかもしれない。
 このあたりは空襲の被害が少なかったのか、戦後の1947年(昭和22年)の地図でも大きな変化はない。
 神社向かいの増子記念病院は終戦翌年の1946年(昭和21年)に開業している。
 今昔マップでは最後まで鳥居マークは描かれない。現在のネット地図にも載っていない。

 神社が守れる守備範囲は規模にもよるしそれぞれだろうけど、この竹橋町の神社についていえば、末広や増子記念病院、中村区役所や中村区役所駅あたりまでは入っているんじゃないかと思う。
 それらへ行った帰りに少し寄っていってもらうといいんじゃないかと思う。

 

作成日 2018.9.3(最終更新日 2019.5.15)

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

社の後ろが気になる竹橋町不明社

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