蛇池神社(龍神社)

信長と大蛇と龍の社

蛇池神社と桜

読み方 じゃいけ-じんじゃ(りゅう-じんじゃ)
所在地 名古屋市西区山田町大字比良 地図
創建年 1909年(明治42年)
社格等  
祭神

龍神/八大龍王(はちだいりゅうおう)

 アクセス

・東海交通事業城北線「比良駅」から徒歩約8分。
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 蛇池(じゃいけ)と呼ばれる池のほとりに社があることから蛇池神社(じゃいけじんじゃ)と呼ばれることが多い。正式名は龍神社という。文字通り、龍を祀っている。
 かつて庄内川が頻繁に氾濫したため、このあたりには10以上の池や沼があったという。蛇池もその中の一つで、昔はこの数倍の大きさだったそうだ。
 蛇池神社を語るとき、必ず信長の大蛇探しの話が出る。信長の家臣だった太田牛一(おおた ぎゅういち/ごいち)の『信長公記』(しんちょうこうき)の中に、「蛇替え(蛇かへ)」として描かれている。

 福徳村に住む又左衛門という百姓が大野木村の知りあいを訪ねた際に、蛇池(この頃はあまが池と呼ばれていたようだ)近くを通ったとき、にわかに土砂降りとなり、目の前に十メートルもあろうかという大蛇が現れた。驚き慌てた又左衛門は一目散に逃げ出して村に帰り、その話をみんなにしたところ、噂が広まり、信長の耳にも入った。
 よし、それならワシが出向いて退治してやろうということで、清洲から比良のこの地にやってきた。
 信長このとき20代前半(1556年頃か)、季節は一年で一番寒い1月下旬だった。
 比良村をはじめ、大野木、安食、味鋺(味鏡)などの農民に桶(おけ)などを持って集まるようにというお触れを出し、さあ、皆のもの、水を掻き出すがよい、と命じた。
 しかし、掻き出しても掻き出しても水はなかなか減らない。7割くらいになったところで待てなくなった信長は、ふんどし一丁になると脇差しを口にくわえて池の中に飛び込んだ。
 しばらく潜って探すも、大蛇など見つからない。泳ぎが得意だという鵜左衛門という男にも潜って探させたけど見つけることができなかった。
 なんじゃ、そんなものおらんではないか、つまらん、とかなんとか言いながら信長は清洲へ帰っていった。その後、水を抜いて10日ほど待ってもやっぱり大蛇は出てこなかった。
 このことがあって以来、この池を蛇池と呼ぶようになったのだとか。
 けど、考えてみて欲しい。1月下旬などという真冬にヘビがそのへんを這っているだろうか。この時期、ヘビは冬眠している。池の中にいるはずもない。家臣はそのことをお館様に教えてあげるべきだったのではないか。1月下旬の池に潜った信長もすごいと思うけど。

 この話は信長の短気で何事も自分で確かめてみなければ気が済まない性格をよく表しているといわれる。同時にアナザー・ストーリーともいうべき別の側面があった。
 あまが池の西に信長の家臣・佐々成政(さっさなりまさ)が居城とする比良城があった。この頃、成政に謀反の疑いありという話が流れており、その噂があることは成政自身も知っていた。そこへ突然信長があまが池に蛇探しにやってくるというから成政は慌てた。蛇探しは口実で、本当は自分に切腹を命じるために来ると思い込んだ成政は、仮病を使って蛇探しの現場にやってこなかった。
 このときの信長は、織田家の家督を継いで清洲城主になってはいたものの、まだ尾張統一を果たす前だ(信長の尾張統一は1559年で、桶狭間の戦いは1560年)。成政は信長に従っていたとはいえ、比良の土豪で、もともと織田家の家臣ではない。信長の織田家もまだどうなるか分からない時期で、信長に絶対服従という立場ではなかった。
 こうなったらやられる前にやってしまうしかないということで、家老の井口太郎左衛門と相談して信長暗殺計画を練った。比良城を見たいと信長が言ったら、水上の舟の上から見るのがいいと誘って、そこで刺し殺すという計画だった。
 実際、このとき信長が比良城を見にいっていたらどうなっていたか分からない。何か感じるものがあったのか、大蛇探しで寒かったから早く帰りたかったのか、急きょ予定を変更して清洲に帰ることになった。それで命拾いすることになる。
『信長公記』の中で太田牛一は書いている。
「信長公御運のつよき御人にて、あまが池より直ちに御帰りなり」
 命拾いをしたのは佐々成政も同じで、成政はその後、信長家臣として活躍を重ね、越中に移り、富山城城主として富山城下の基礎を築くことになる。

 この場所に龍を祀る神社を建てたのは、信長の大蛇のエピソードとは関係がない。明治42年(1909年)というからずっと後のことだ。
 ある年、ひと月以上も雨が降らない日が続いたため、光通寺の住職が雨乞いをしたところ大願の当日にようやく雨が降ったということで、龍神に感謝した村人たちが堂を建てたのが始まりだった。

 毎年4月の第二日曜日に櫃流し(ひつながし)という神事が行われる。
 村に住む惣右衛門という男の妻が、子供たちにいじめられている小さなヘビを助けた。その後、その妻は子供を産んで命を落としてしまう。困っていた惣右衛門を助けて赤ん坊を育てたのが池に住むヘビで、それは実は龍神だったということで、感謝した惣右衛門がお礼に赤飯を炊いて池に流したのが始まりという。

 祀られている八大龍王は、仏法を守る難陀・跋難陀・娑迦羅・和修吉・徳叉迦・阿那婆達多・摩那斯・優鉢羅の八体の龍神とされる。
 龍王はインドのナーガラージャが仏教に取り込まれ、中国を経て日本に入ってきて日本の龍王になった。インドのナーガは半身半蛇の姿をしている。
 日本では特に沙伽羅(サーガラ/しゃから)が雨を降らせる龍神として信仰対象となっている。
 弘法大師が京都神泉苑で八大竜王に祈って雨乞いをしたり、役行者が埼玉県秩父の今宮神社や奈良県天川の龍泉寺に八大龍王を祀ったとも伝わる。
 興福寺にある国宝の沙羯羅像(さからぞう)も知られている。

 昭和30年(1955年)に西春日井郡山田村が名古屋市に編入されたのを記念して、洗堰緑地の堤防や池の周りに多くのソメイヨシノの木が植えられた。
 2000年(平成12年)の東海豪雨による河川改修工事のため、多くの古木が切り倒されることになったものの、堤防上の桜並木は今も美しい景観を保っている。その後、池周辺にあらたに植えられた若い桜も育ってきている。
 毎年8月20日に夏まつりが行われる。池には万灯籠が浮かべられ、夜店も出て花火も打ち上げられ、盆踊りが行われる。
 桜や祭りに訪れた人たちによって、蛇池の話が伝えられていく。昔、この池に信長が飛び込んで大蛇を探してね………。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

蛇池神社に初参拝

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