白山社(川前町)

ククリヒメではなくシラヤマヒメを祀る白山社

川前白山社

読み方 しらやま-しゃ(かわまえ-ちょう)
所在地 名古屋市中川区川前町170 地図
創建年 不明
社格等 村社・十四等級
祭神

白山比咩神(しらやまひめのかみ)

アクセス

・JR関西本線「八田駅」から徒歩約30分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 中川区川前町にある白山社。
 北の中村区と南の中川区は、JR関西本線や近鉄名古屋線の線路付近を境界線としているのに、何故か川前町だけが線路を越えて北にぽこんと小さく食い込んで中川区になっている。歴史的な背景があるのか、行政上の都合なのかは分からない。
 川前町はかつて岩塚だったのか前田だったのか。川前町のすぐ南に本前田という地名が残っているから、川前町まで尾張前田家の本拠があった土地といっていいだろうか。
 川前町の北、岩塚には岩塚城が、川を挟んで南西には前田城と助光城があったと伝わる。

 前田氏が本拠としたから前田という地名が生まれたのか、その逆なのか。
 美濃の前田家と、尾張の本筋とされる尾張前田家(与十郎家)、前田利家を生んだ荒子前田家(蔵人家)との関係性がはっきりしない。
 荒子の前田家は庶流のようだけど、美濃前田家がルーツなのか、尾張の与十郎家が本家なのか、よく分からない。
 尾張前田家がいつ頃からここにいたのかもはっきりしない。前田という地名は古くからあったようで、鎌倉時代初期の神鳳鈔(じんぽうしょう)の中に出てくる。
 神鳳鈔は1193年に編さんが始まり1360年に完成したとされる伊勢の神宮の領地一覧だ。前田は最後の方に小さく書かれているだけなので、領地としては小さかったようだ。
『愛知縣神社名鑑』でもこのことに触れて、「この地は『神鳳鈔』に尾張国前田の荘で伊勢神宮の御園ありし所にて古くより祭りし」と書いている。

 川前町に伊勢の神宮領があったかどうかは分からない。あったとしても、この白山社は直接的な関係はないと思う。
『尾張志』にある「前田村 白山社」がこの川前町の白山社を指しているのかどうか。このあたりは白山社が多いので、確信が持てない。
『愛知縣神社名鑑』はこう続ける。
「慶長(1596) 元和(1615) 寛永(1624)等棟札を社蔵しが昭和十九年三月の空襲により社殿は勿論古記録一切を烏有(うゆう)に帰した。『村誌』に昔は境内四畝十五歩免租地横井村祢宜二村長門守なり」
 名古屋空襲というと戦争が終わった年の昭和20年(1945年)にあったという印象が強いけど、昭和17年から小規模な空襲が断続的に行われたのだった。昭和19年3月というのもそのなかのひとつということだろう。
 境内四畝十五歩ということは、135坪ということでいいだろうか。
 1坪といっても感覚的にピンとこないのだけど、1坪2畳と考えると多少はイメージできる。270畳というと広すぎてかえって分からなくなるか。

 江戸時代以前の棟札があったということは、それ以前からこの神社はあったということだ。
 祭神をククリヒメ(菊理媛神)ではなく白山比咩神(シラヤマヒメ)としているのは、それだけ古いということが言いたいのか、あえてシラヤマヒメにしている理由があるのか。
 白山神社の 総本山である白山比咩神社(石川県白山市)では、主祭神を白山比咩大神として、菊理媛神を同一としている。
 名古屋市内の白山社の大部分は祭神をククリヒメとしているはずだけど、中にはシラヤマヒメとしているところもあるのかもしれない。今後調査を進めていく必要がある。シラヤマヒメとしているところはククリヒメとする他の白山社と違いがあるのかどうか。
 イザナミ(伊邪那美)を祀っている白山社もある。

 昭和29年に川前町52番地の稲荷社、前田西町3丁目の秋葉社、前田西町1丁目の秋葉社を、それぞれ飛地境内社にしたという。
 前田西3の秋葉社は分かるのだけど、前田1の秋葉社と川前町の稲荷社がどこにあるのか分からない。もう一度行って探し当てないといけない。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

中川区の川前町白山社

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