秋葉社(富永)

江戸末期創建の中規模秋葉社

富永秋葉神社

読み方 あきば-しゃ(とみなが)
所在地 名古屋市中川区富永2丁目389 地図
創建年 1851年(江戸時代末期)
社格等 無格社・十五等級
祭神 迦具土神(かぐつちのかみ)
アクセス

・近鉄名古屋線「戸田駅」から徒歩約23分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 富永にある秋葉社。
 秋葉社としては中規模の神社で、鳥居はあって拝殿はなく、境内はそこそこの広さがある。本殿は覆殿で覆われている。参道に並ぶ灯籠などは新しい。

 愛知県神社庁に加盟しており、『愛知縣神社名鑑』にも載っている。
「創建は嘉永四年(1851)4月17日、という南屋敷の氏神として崇敬あつく、明治10年7月19日据置公許となる」

 現在、富永2丁目のこのあたりは南屋敷と呼ばれていたようだ。ということは、北屋敷もあったのだろうか。
 嘉永四年といえば、もう幕末の頃だ。2年後の嘉永六年には黒船が来ている。どうしてそんな時代に火伏せの神を祀る神社を村に建てようということになったのかは分からないのだけど、尾張の田舎の方では江戸の政局などはどこか他人事だっただろうか。

 神社の少し北にある富吉山観音堂というのが気になった。前を通りかかったときにそのまま素通りできず、中まで入って確認してみた。どことなく神社の気配のようなものがあったというのもある。
 境内には立派な由緒書きの碑が建っていた。
 それによると、『尾張徇行記』の富永村の項に「観音堂一宇、境内三畝二歩草創ハ知レス、再建ハ元禄二年(1689)也」とあるとしている。
 本尊の木造聖観世音菩薩は海で漁師の網にかかって引き揚げられたもので、弘法大師の作とも伝わるという。
 かつては洪水で寺ごと流されてしまったことがわりとあり、海で漁師が仏像を引き揚げたという話もけっこうある。それで寺を建ててしまったりすることがあって、後になってあそこの仏像はもともとどこどこの寺のものだったなどという話が出てくる。もとの所有者に戻すという発想はあまりなかったのか、拾ったもん勝ちみたいなところがあったのかもしれない。
 江戸時代中期の元禄年間(1688-1704年)には村の所有となり、現在は無住の寺で近隣の住民が守っているそうだ。本尊は8年に一度開帳されるらしい。
 通り過ぎようとする私を観音様が引き留めたのかもしれない。まあ、せっかくここまで来たんだ、ちょっと寄っていきなさいと。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

中川区富永の秋葉社と冨吉山観音堂

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