岩塚の津島社(地図)の南西140メートルほどのところにある八幡社。 岩塚津島社が岩塚東の守護神で、岩塚八幡社は岩塚西の産土神と位置づけられている。 『愛知縣神社名鑑』の内容も、岩塚津島社のものと似ている。 「創建は明かではないが、『尾張殉行記』に再建元和三巳年(1617)也とあり、古くより岩塚西町の産土神として崇敬あつく、明治六年、据置公許となる」 どちらも『尾張殉行記』(1822年)の記述を引き合いに出し、再建年を津島社は1658年、八幡社は1617年としている。 どちらも旧無格社で、明治六年に据置公許となったのも同じだ。 据置公許というのは、廃社にしたり合祀したりしないことを公に認めたということだ。
『寛文村々覚書』(1670年頃)や『張州府志』(1752年)には岩塚村には大明神、八幡、明神、八劔宮、天王、神明があると書かれている。 『尾張徇行記』(1822年)の該当部分を書き出すと以下のようになっている。 「岩塚村祠官吉田内記書上帳ニ、八幡祠境内一反外ニ一反三畝倶ニ前々除、末社富士白山再建ハ元和三巳年也」 1617年(元和3年)に再建されていて、前々除となっているということは、遅くとも戦国時代には建っていたということだ。 八幡社が多く建てられるようになったのは鎌倉時代以降なのだけど、最大限さかのぼるとしたらそれくらいの古さがあるかもしれない。妥当な線でいけば戦国時代だろうか。 岩塚村の七所社は『延喜式』神名帳(927年)の御田神社ともいわれていることからして岩塚村の成立はかなり古いと考えられる。村の中央を東西に通っていた佐屋路も相当古いとされる。
佐屋路が正式に開かれたのは1634年のことだ。家光が三度目の上洛をするに際して、尾張藩主だった義直が整備させたとされる。 東海道の熱田の宮宿と桑名宿は海路で結ばれており、それを嫌った人たちが佐屋路を利用した。 宮宿を北上して陸路で岩塚宿に至り、万場の渡しで庄内川を越えて万場宿、神守宿を経て佐屋宿へ、佐屋湊から川船で三里下って桑名宿へ至るルートだった。 家光一行も実際にこの佐屋路を利用した。大坂夏の陣(1615年)のときは家康もこの道を通った。 八幡社の東隣に佐屋宿の本陣があった。 江戸時代後期の天保年間(1830-1844年)の記録によると、佐屋宿は家屋212軒、人口1,038人、問屋場1軒、本陣1軒、旅籠7軒があった。脇本陣はなく、宿場としての規模は小さかった。 対岸の万場宿もさほど変わらず、家屋160軒、人口672人、問屋場1軒、本陣1軒、旅籠10軒で、脇本陣はなかった。 この規模では団体さんはお断りといったところだ。参勤交代は東海道を使うことが義務づけられていたから、あんな大規模の一団がこの道を通ることはなかっただろう。
八幡社のすぐ南に遍慶寺(地図)というお寺があり、そのあたりにかつて岩塚城があったと伝わっている。 かつは堀跡が残っていたというけど、現在は何も残っていない。 築城時期は不明ながら、尾張守護職だった斯波氏の一族、吉田治郎左衛門重氏が築いたとされる。 当時の尾張守護・斯波義統(しばよしむね)は名目だけの守護で、尾張を実質的に支配していたのは守護代の織田信友だった。 その義統が織田信友によって殺害されてしまったため、嫡男の斯波義銀(しばよしかね)が後を継ぎ、義銀は信長に命じて信友を討たせた。 しかし、今度はその信長が尾張を支配して勢力を伸ばしたため、義銀は今川家などと謀って信長暗殺を企てるも発覚してしまい、京へ追放の身となった。 そのことがあって岩塚城主だった重氏は隠居して、嫡男の元氏が後を継ぐことになる。 その元氏は織田家に仕えることになるも、伊勢国の大河内城攻め(信長と北畠氏との戦い)で討ち死にした(1568年)。 家督は息子の九郎左衛門が継ぎ、岩塚城はこのとき廃城になったとされる。 九郎左衛門は信長の死後、信長次男の織田信雄に仕えた。
この神社の最大の特徴は、なんといっても本殿が茅葺屋根という点だ。 残念ながら傷みが激しいようで、現在は全体を鉄板で覆ってしまっていてその姿を直接拝むことはできないものの、格子の間からのぞき込むと、屋根の下の部分と骨組みを見ることができる。 かつて佐屋路沿いにはこうした茅葺屋根の家屋などが多く建ち並んでいたという。現在わずかに残されているものは八幡社と同じように鉄板で覆われているようだ。 境内の半分は月極駐車場になっていて、油断するとこのまま全体が駐車場になりかねない。茅葺屋根も維持できそうにないし、いっそのこと廃社にしてしまおうかという話が氏子たちの間で出てもおかしくない。 平成になって廃社になったり他の神社に移されたりした例をいくつか知っている。神社を守れるか守れないかは、守ろうという意志があるかないかにかかっているといえる。 今更茅葺き屋根を葺き替えるのは難しいだろうけど、なんとか修繕して維持していってほしいと願っている。
作成日 2017.6.8(最終更新日 2019.4.29)
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