八幡社(岩塚)

岩塚城、佐屋路、岩塚宿、茅葺屋根

八幡社(岩塚)

読み方 はちまん-しゃ(いわつか)
所在地 名古屋市中村区岩塚町字郷中88 地図
創建年 不明
社格等  十五等級
祭神

應神天皇(おうじんてんのう)

アクセス

・地下鉄東山線「岩塚駅」から徒歩約25分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 岩塚の津島社地図)の南西140メートルほどのところにある八幡社。
 岩塚津島社が岩塚東の守護神で、岩塚八幡社は岩塚西の産土神と位置づけられている。
『愛知縣神社名鑑』の内容も、岩塚津島社のものと似ている。
「創建は明かではないが、『尾張殉行記』に再建元和三巳年(1617)也とあり、古くより岩塚西町の産土神として崇敬あつく、明治六年、据置公許となる」
 どちらも『尾張殉行記』の記述を引き合いに出し、再建年を津島社は1658年、八幡社は1617年としている。八幡社の方が古くからあったと考えていいだろうか。
 どちらも旧無格社で、明治六年に据置公許となったのも同じだ。
 据置公許というのは、取りつぶしたり合祀したりしませんよということだ。

 この神社の最大の特徴は、なんといっても本殿が茅葺屋根という点だ。
 残念ながら傷みが激しいようで、現在は全体を鉄板で覆ってしまっていてその姿を直接拝むことはできない。格子の間からのぞき込むと、屋根の下の部分と骨組みを見ることができる。
 神社は旧佐屋路のすぐ南に建っている。社殿は南向きなので道には背を向ける格好になっているけど、古くからこの地にこうしてあってのだろうと思わせる。
 かつて佐屋路沿いにはこうした茅葺屋根の家屋などが多く建ち並んでいたという。現在わずかに残されているものは、八幡社と同じく鉄板で覆われているようだ。
 最初にパッと本殿を見たとき、なんだこの建物はと驚いた。斬新すぎるデザインだろうかとさえ思った。
 今更葺き替えるのは難しいだろうけど、なんとか修繕して維持していってほしい。

  八幡社の東隣に、江戸時代は佐屋宿の本陣があった。
 佐屋路は熱田と津島を結んだ道が元になっており、正式に開かれたのは1634年とされる。家光が三度目の上洛をする際、尾張藩主だった義直が整備させた。
 宮宿のある熱田湊と伊勢桑名宿は海路で結ばれており、七里の渡しとも呼ばれた。その船旅を嫌う人のためということもあり、陸から行く迂回路として整備されたのが佐屋路だ。
 岩塚宿から庄内川を万場の渡しで渡り、万場宿、津島の神守宿を通り、佐屋宿に到る。佐屋路の名前はそこから来ている。
 佐屋宿の先の佐屋湊で舟に乗り換え、佐屋川を下る三里の渡しを終えれば桑名宿へと辿り着く。
 佐屋路が開かれた当時は砂子村(海部郡大治町砂子)に宿場があり、2年後の1636年に岩塚に宿場が移され、庄内川を渡った先の万場宿とあわせてひとつの宿場機能を果たしていた。
 万場の渡しは万場宿の担当だったものの、あとは前後半15日ずつ交代で業務などを行った。
 江戸時代後期の天保年間(1830-1844年)の記録によると、家屋212軒、人口1,038人、問屋場1軒、本陣1軒、旅籠7軒とある。脇本陣はなく、宿場としてはごく小さい。
 万場宿の方もさほど変わらず、家屋160軒、人口672人、問屋場1軒、本陣1軒、旅籠10軒で、脇本陣はなかった。
 この規模では団体さんはお断りといったところだ。参勤交代は東海道を使うことが義務づけられていたから、あんな大規模の一団がこの道を通ることはなかっただろう。

 八幡社のすぐ南に遍慶寺(地図)というお寺があり、そのあたりにかつて岩塚城があったと伝わっている。
 かつは堀跡が残っていたというけど、現在は何も残っていない。
 築城時期は不明ながら、尾張守護職だった斯波氏の一族、吉田治郎左衛門重氏が築いたとされる。
 当時の尾張守護・斯波義統(しばよしむね)は名目だけの守護で、尾張を実質的に支配していたのは守護代の織田信友だった。
 その義統が織田信友によって殺害されてしまったため、嫡男の斯波義銀(しばよしかね)が後を継ぎ、義銀は信長に命じて信友を討たせた。
 しかし、今度はその信長が尾張を支配して勢力を伸ばしたため、義銀は今川家などと謀って信長暗殺を企てるも発覚してしまい、京へ追放の身となった。
 そのことがあって岩塚城主だった重氏は隠居して、嫡男の元氏が後を継ぐことになる。
 その元氏は織田家に仕えることになるも、伊勢国の大河内城攻め(信長と北畠氏との戦い)で討ち死に(1568年)。
 家督は息子の九郎左衛門が継ぎ、岩塚城はこのとき廃城になったとされる。
 九郎左衛門は信長の死後、信長次男の織田信雄に仕えたという。

 八幡社ということと、この地の歴史を踏まえると、創建されたのは戦国時代の可能性が高そうだ。そう決めつける根拠はどこにもないわけだけど。
 境内の半分は月極駐車場になっている。油断するとこのまま全体が駐車場になりかねない。茅葺屋根も維持できそうにないし、いっそのこと廃社にしてしまおうかという話が氏子たちの間で出てもおかしくない。
 平成になって廃社になったり他の神社に移されたりした例をいくつか知っている。神社を守れるか守れないかは、守ろうという意志があるかないかにかかっているのかもしれない。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

どんな形であれ守っていこう岩塚八幡社

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