神明社熱田社白山社合殿(富永)

村の三社が合体して一社になった

神明社熱田社白山社合殿

読み方 しんめい-しゃ あつた-しゃ はくさん-しゃ あいどの(とみなが)
所在地 名古屋市中川区富永3丁目90番地 地図
創建年 不明
社格等 村社・十二等級
祭神 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
菊理姫命(くくりひめのみこと)
アクセス

・近鉄名古屋線「戸田駅」から徒歩約15分
・駐車場 なし

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オススメ度

 かつての富永村にあった三社を合殿にした神社。
 江戸期の書にはそれぞれこう書かれている。

『尾張志』
「熱田大明神ノ社 白山ノ社 神明ノ社 三社ともに富永むらにあり」

『寛文村々覚書』
「社三ヶ所 内 神明 大明神 白山 須成 三郎太夫持分 社内三畝歩 前々除」

『尾張徇行記』
「熱田大明神祠 白山祠 神明祠 界内三畝 前々除」

 創建年は不明ながら、江戸時代を通じて富永村に三社があったことは間違いなさそうだ。
 前々除とあるから、1608年の備前検地以前にあったことになる。
 それがいつ合わせ祀るようになったのかはよく分からない。
『愛知縣神社名鑑』もそのあたりのことは書いていない。

 富永村の村名の由来はよく分からないようだ。
 津田正生は『尾張國地名考』の中で、【近藤利昌曰く】として「村名姓氏に出るか 詳ならず」と書いている。
 富永という人が村にいたからそのまま村名になったのかもしれないけどよく分からないとする。
 富永村は江戸時代の初期までは海辺の村だった。
 村のすぐ南を干拓して開発したのは鬼頭景義で、1643年のことだった。その後、西福田新田と呼ばれることになる。
 現在は港区西福田という地名が残っている。
 三社の神社の創建が江戸時代以前となれば、村としての成立もそうだということで、村名は海辺の集落だったときに付けられたものと考えられる。
 単純に永く富むようにという願いを込めて名付けられたのかもしれない。

 江戸時代、干拓地は南へ南へとどんどん広がっていき、富永村はすっかり海辺の村ではなくなった。
 ただ、東海道の宮宿と桑名宿を結ぶ海路はずっとのまま続き、七里の渡し(三里の渡しも)が廃止になったのは明治4年のことだった。
 その後、昭和に入って国道1号線が建設され、富永も大きく様変わりすることになる。
 現在、この神社は国道1号線を少し南に入ったところに位置している。
 奥行きのあるなかなか立派な神社だ。社号標には神明社とあるけど、もとからここが神明社だったのかどうか。熱田社に神明社と白山社を合祀したかもしれない。
 この神社がもともとこの場所にあったのかどうかも何とも言えない。国道1号線の建設にともなって遷座したのならそういう記録が残っているはずで、それがないということは江戸時代からこの場所に建っていたということか。
 拝殿、祭文殿、本殿と並び、透塀(すきべい)で囲むというのは『尾張名所図会』でよく描かれている江戸時代の神社形式だ。拝殿と祭文殿はコンクリート造になっているものの、木造の本殿はわりと古そうだ。
 なかなか見栄えのいい神社だと思った。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

三社とも名前が残った富永の神明社熱田社白山社合殿

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