神明社熱田社白山社合殿(富永)

村の三社が合体して一社になった

神明社熱田社白山社合殿

読み方 しんめい-しゃ あつた-しゃ はくさん-しゃ あいどの(とみなが)
所在地 名古屋市中川区富永3丁目90 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 村社・十二等級
祭神 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
菊理姫命(くくりひめのみこと)
アクセス 近鉄名古屋線「戸田駅」から徒歩約15分
駐車場 なし
その他 例祭 10月5日
オススメ度

 かつての富永村にあった三社を合殿にした神社だ。
 江戸時代の書にはそれぞれこう書かれている。

『寛文村々覚書』(1670年頃)
「社三ヶ所 内 神明 大明神 白山 須成 三郎太夫持分 社内三畝歩 前々除」

『尾張徇行記』(1822年)
「熱田大明神祠 白山祠 神明祠 界内三畝 前々除」

『尾張志』
「熱田大明神ノ社 白山ノ社 神明ノ社 三社ともに富永むらにあり」

 創建年は不明ながら、江戸時代を通じて富永村に三社があったことは間違いなさそうだ。
 前々除とあるから、1608年の備前検地以前にあったことになる。
『愛知縣神社名鑑』は創建年を不明として『尾張志』を引用し、「その後三社を合わせ祀る。明治5年7月、村社に列格する」と書く。
 合殿になったのはいつかがけっこう大事なのだけど、その点については調べがつかなかった。
『中川区の歴史』は文安年間(1444-1449年)に創建されたと伝えられていると書いている。それが本当であれば室町時代中期だ。
 しかし、それは熱田大明神なのか白山なのか神明なのか。三社同時に勧請したという可能性もあるだろうか。

 富永村の村名の由来はよく分かっていない。
 津田正生は『尾張國地名考』の中で、【近藤利昌曰く】として「村名姓氏に出るか 詳ならず」と書いている。
 富永という人が村にいたからそのまま村名になったのかもしれないけどよく分からないとする。
 富永村は江戸時代の初期までは海辺の村だった。村民は半農半漁だったという。
 村のすぐ南を干拓して開発したのは鬼頭景義で、1643年のことだった。その後、西福田新田と呼ばれることになる(現在の港区西福田)。
 江戸時代、干拓地は南へ南へとどんどん広がっていき、富永村はすっかり海辺の村ではなくなった。
 ただ、東海道の宮宿と桑名宿を結ぶ海路はずっとのまま続き、七里の渡し(三里の渡しも)が廃止になったのは明治4年のことだった。
 その後、村のすぐ北を東海通(国道1号線)が通った。
 富永村一帯は1970年代に区画整理されて住宅が増えたものの、今でも多くの水田が残っている。
 そのあたりの変遷は今昔マップを辿ると見てとれる。

 奥行きのあるなかなか立派な神社だ。社号標は神明社となっているから、本体は神明社だったということか。
 拝殿、祭文殿、本殿と並び、透塀(すきべい)で囲むというのは『尾張名所図会』でよく描かれている江戸時代の神社形式だ。拝殿と祭文殿はコンクリート造になっているものの、木造の本殿はわりと古そうだ。
 なかなか見栄えのいい神社だと思った。

 

作成日 2017.11.28(最終更新日 2019.7.9)

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

三社とも名前が残った富永の神明社熱田社白山社合殿

HOME 中川区



Scroll Up