若宮八幡社(小塚町)

小塚村の若宮は誰を祀る

小塚若宮八幡社

読み方 わかみや-はちまん-しゃ(こづか-ちょう)
所在地 名古屋市中川区小塚町11 地図
創建年 不明
社格等 村社・十四等級
祭神

仁徳天皇(にんとくてんのう)

アクセス

・あおなみ線「荒子駅」から徒歩約6分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 仁徳天皇を祀る若宮八幡社となっているけど、ここはもともとそういう神社ではなかったかもしれない。
 小塚村にあった若宮といえば、思い当たることがある。
 塚(つか)は土や石を盛ったものをいい、のちに墓を指す言葉になった。
 若宮というと若宮八幡の場合は、八幡神である応神天皇の子供の仁徳天皇を祀るとするところが多いけど、単に若宮というと意味が違ってくる。
 非業の死を遂げた者が祟らないために神の子として祀ったことから若宮と呼ばれた。
 人柱とされた人間や、何らかの恨みを抱いたまま死んだ霊を慰めるため、巫女の託宣によって祀られることもあったという。
 つまり、この若宮社はそういう神社だったのではないだろうか。
 小塚村の由来について津田正生は『尾張国地名考』の中で、「墓原に出るなるべし」としている。
 墓原(はかわら)は文字通り、墓地のことだ。塚村ではなく小塚としたということは、広い墓地ではなく個別の墓(塚)から来ているのかもしれない。
 名字としての小塚は、ここ愛智郡小塚村が発祥とされる。それは、清和源氏の流れを汲むという。
 小塚村が先なのか、小塚氏が先なのか分からないけど、一族の中で非業の死を遂げた人間を塚に葬り、若宮を建てて祀ったという可能性もある。

『寛文村々覚書』(1655年-1658年)にはこうある。
「社弐ヶ所 内ニ稲荷 天神 若宮 熱田祢宜 福大夫持分 社内七畝弐拾歩 前々除」 
 1822年完成の樋口好古『尾張徇行記』ではこうなっている。
「稲荷 天神 若宮社 前々除
 天王社内十歩年貢地」
 しかし、何故か1844年成立(序)の『尾張志』には若宮の記述がなく、「稲荷ノ社 小塚むらにあり」とだけ書かれている。
 このとき若宮社はどういう状況になっていたのか。天神も抜け落ちている。
 現状をいえば、小塚町に稲荷社はなく、若宮八幡社の中の境内社にもなっていない。
 若宮社が若宮八幡社とされたのは、明治はじめのことだろうと思う。

 本殿横に高さ18メートルのタブノキ(椨)がある。
 中川区の保存樹第1号とされた木で、名古屋市内では最大級のタブノキとなっている。
 名古屋の神社で御神木とされて巨木になっているのは、ほとんどがクスノキ(楠)だ。タブノキは少ない。
 西日本では墓地にタブノキを植えることがけっこうあるという。
 このタブノキがあったところに塚を築いたのか、塚の目印とするためにタブノキを植えたのか。
 順番がどうであれ、塚と若宮とタブノキは3つでセットだったのではないかと思う。
 ここに祀られた人はどんな人でどんな死に方をしたのだろう。そんなことに思いを巡らせつつ白とピンクのツートンに塗られたポップな拝殿を見ると、いい意味で脱力感を誘われるのだった。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

ピンクの拝殿が記憶に残る小塚町若宮八幡社

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