熱田社(西福田1)

農村神社の原風景がここにある

西福田1熱田社

読み方 あつた-しゃ(にしふくた1)
所在地 名古屋市港区西福田1丁目1706 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 村社・十四等級
祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)
アクセス 近鉄名古屋線「戸田駅」から徒歩約32分
海東バス停留所」から徒歩約6分
駐車場 なし
webサイト  
オススメ度 **

 田んぼが広がる中にあって、参道になっている長い農道を進んだ先にその神社はある。
 カッコイイ、そう表現したくなる神社だ。
 ここを訪れるなら稲が青く育った夏がいい。あるいは、黄金色に実った秋もいいだろう。
 かつての農村にあった神社の姿とはこういうことだったのかと実感として分かる。この風景を見るためだけでも訪れる価値がある神社だ。

 創建のいきさつや歴史についてはよく分からない。
『愛知縣神社名鑑』も、「創建は明かではない。野田の鎮守の神として崇敬あつく明治5年7月、村社に列格した」と、あっさりした記述のみとなっている。
 1643年(寛永20年)に鬼頭景義が開発した西福田新田にあった熱田社には違いない。
『尾張徇行記』(1822年)の西福田新田の項にはこうある。
「須成村祠官寺西伊豆守書上帳ニ、西福田新田ノ内熱田大明神神明 勧請ノ初ハ寛永十九年也
 大明神二社 勧請ノ初ハ慶安四卯年也
 熱田大明神 勧請ノ初ハ同上(慶安四卯年)
 熱田大明神 勧請ノ初ハ同上(慶安四卯年)
 神明社 勧請ノ初ハ寛永十九年也」
 ここにある熱田大明神のうちのひとつが西福田1の熱田社であれば、創建は寛永19年(1642年)もしくは慶安4年(1651年)ということになる。
『尾張志』(1844年)は、「神明ノ社三社 山神ノ社 熱田大明神ノ社二所 六社共に福田新田村にあり」と書いているのだけど、福田新田村は東福田新田と西福田新田をあわせたものなので、現存する神社数と記載されている神社数がまったく合わない。どこの神社のことをいっているのか分からない。
 西福田新田だった地区に熱田社は3社現存している。西福田3熱田社、福屋1熱田社、この西福田1熱田社だ。

 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、ここは西福田新田の北東部で、神社は集落の北に位置したことが分かる。
 このときの地図に鳥居マークはない。しかし、だからといってなかったとは限らない。
 1920年(大正9年)の地図から現在地に鳥居マークが現れる。
 集落の家はそれほど多くない。新屋敷と呼ばれていたということは、新しくできた集落だったということだろうか。
 1932年(昭和7年)になっても家はあまり増えていない。神社に続く南からの参道がこの時期にできたようだ。
 不思議なのは、1937-1938年の地図以降、鳥居マークが消えてしまうことだ。1976-1980年の地図から復活する。
 これは何を意味しているのだろうか。地図上から消えただけで神社自体はあったのか、神社そのものがこの間なくなっていたのか。もしくは、別の場所に移っていたのか。そのあたりの状況については調べがつかなかった。
 新屋敷と呼ばれていた地区は1970年代以降は野田と地名を変えた。
 1960年代以降に区画整理が進んで家もそれなりに増えていった。それでも今もまだ田んぼが多く残っている。田んぼ越しに遠く名古屋駅前の高層ビル群が見えていた。

 神社そのものは取り立てて特徴のあるところではない。本社はわりと古くなっているから戦後もしくは伊勢湾台風(昭和34年)の後にでも建て直したものだろうか。白塗り鉄筋コンクリート造の拝殿はまだ新しい。
 境内社になっている秋葉社は他の場所から移してきたものか。
 その奥の建物は新屋敷社務所と看板が掛かっている。
 山車蔵のような祭器庫は『愛知縣神社名鑑』には載っていないけど、神楽屋形を所有しているかもしれない。
 秋の収穫の時期、秋祭りで田んぼの中を一列になって進む神楽の行列を見てみたいと思った。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

港区西福田1熱田社は失われてしまった農村神社風景

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