近くにある七所神社(伏屋)(地図)の飛地境内社という扱いになっている。 『愛知縣神社名鑑』によると、”合併”したのは昭和33年1月24日だったようだ。それまでは独立していたということになる。 秋葉社は白山社に続く参道入り口近くに建っている。最初からこの位置関係だったのか、後にこうなったのかは分からない。 『寛文村々覚書』(1670年頃)、『尾張徇行記』(1822年)、『尾張志』(1844年)を見ると、伏屋村(ふせやむら)には江戸時代を通じて七所社(大明神)と白山の二社があったことが分かる。どちらも江戸時代以前からあった古い神社だ。秋葉社についての記述はない。 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)に白山社の鳥居マークが確認できる。遷座したという記録はないようなので、初めからここにあったと考えていいだろうか。伏屋村集落の西端に当たる。 七所社が白山社と秋葉社を合祀するのではなく飛び地境内社としてそのまま残した理由は分からない。白山社側の希望だったのか。
伏屋村に白山をいつ誰が祀ったのかについて推測するのは難しい。 『尾張徇行記』に「白山祠境内二畝前々除 勧請ノ初年暦ハ不詳、永禄拾卯年再建ノ由」とあるので、再建された1567年以前というのは間違いない。 七所社と同じ村上相模守が祠官を務めていた。 祭神は『中村区の歴史』によると白山比咩神という。菊理姫ではなく白山比咩ということは、加賀一宮の白山比咩神社(web)からの勧請と考えていいだろうか。それは明治以降のことで、江戸時代までは白山権現を祀るという意識だっただろうけど。
白山社は「しらやま」と読むのか「はくさん」と読ませるのかが分からない。 名古屋北東部にある白山社はおそらくすべて「はくさん」なのだけど、南西部は「しらやま」と読ませるところが多いようだ。ここも一応「しらやま」としておくけど、「はくさん」かもしれない。
境内と隣接した土地なのか、境内の中なのか、お墓がある。神社に墓地があるのは珍しい。神社関係者のものだろうか。
秋葉社があるエリアがちょっと異様な雰囲気に包まれている。この一角だけ木々が生い茂り、昼なお暗い。なんだかすごい気を発している。白山社よりもこちらがメインじゃないかと思ったほどだ。 白山社はすかすかに気が抜けたようになっているのに、秋葉社には確かに何かがいるといった濃密な気配に満ちている。神、もしくはある種の霊的存在にとってこの空間は居心地がいいかもしれないと思った。 この神社に関しては秋葉社が強く印象に残った。
作成日 2017.6.11(最終更新日 2019.5.27)
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