金山駅の南口を出て、西へ少し行ったところにある小さな秋葉社。 床屋の横の門を開けて奥へ進んだ先に鎮座している。一般の人でここに入ってくる人はあまり多くないかもしれない。 神社南の通りは旧佐屋街道で、少し東の国道19号線がかつての美濃路だった。美濃路と佐屋街道の合流点ということで、かつては人通りの多いところだったと思われる。 今昔マップの明治中頃(1888-1898年)を見ると、北にはすでに国鉄の中央本線が通り、佐屋街道沿いだったこのあたりにも家が建ち並んでいる。その後も街は発展し、戦前までには隙間がないくらいの住宅地になった。しかし、空襲で大きな被害を受け、1947年の地図を見ると、あたり一帯は真っ白になっている。そのときも秋葉社はここにあったかどうか。
この秋葉社がいつ頃建てられたものかは分からない。情報がまったくなく、予測も難しい。江戸時代からすでにあったのか、明治以降なのか。 美濃路を少し南下したところに金山神社と住吉神社がある。 西の堀川に架かる尾頭橋を渡ったところにある尾頭橋神社もいつ頃創建されたのかは分からない。 秋葉神社があるあたりは、尾張最古ともいわれる尾張元興寺(願興寺)があった場所だから(現存する元興寺は後に復興させたもの)、もしかすると関係があるかもしれない。
小さい規模の秋葉社は、町内で世話をしているか、個人宅で守っているようなところが多い。 愛知県神社庁に登録しているところは一部で、江戸期の書物にもほとんど出てこないので調べようとしても手がかりがない。知りたければお世話をしている人に訊くくらいしか手がないのだけど、創建のいきさつまで知っている人はそれほど多くないのではないか。 何か分かれば追記することにしたい。
作成日 2017.8.11(最終更新日 2019.3.12)
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