宝神町にはふたつの熱田社があり、南の会所裏の熱田社は宝来新田にあったもので、北の宝神町敷地の熱田社(地図)は神宮寺新田にあった神社ということになる。 ちょっと分からないのは、『尾張志』(1844年)では宝来新田のものは「八劔稲荷相殿ノ社」となっていて、神宮寺新田のものは「八劔ノ社弁才天水天宮相殿社」となっている点だ。 いつ、どうして八劔社を熱田社に変えたのか、相殿で祀られていた祭神がどちらの神社からも消えているのは何故かという謎が残る。 本当にふたつの熱田社は『尾張志』にある八劔社と同じものなのかという疑問も抱く。
現在の会所裏熱田社の祭神は、天照皇大神、素盞嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命となっている。 顔ぶれからすると熱田社でも八劔社でもいいことになるけど、おそらくこうなったのは明治以降のことのはずだ。 いずれにしても、八劔社を熱田社とした理由がよく分からない。八剣宮は熱田神宮の別宮という位置づけで、同じ祭神を祀るとしているから変えてもいいけど変える必然はない。八劔社よりも熱田社の方が格上だからという理由だっただろうか。 稲荷については現在の熱田社にウカノミタマは祀られておらず、独立した稲荷社もない。境内社としてあるのは、秋葉社と水分社(みくまりしゃ)だけだ。 やはり、『尾張志』がいう八劔稲荷相殿ノ社と今の会所裏熱田社は別なのだろうか。
神社の由緒書きには、創建は文政五年(1822)で、宝神新田開発と同時に鎮座して、宝来村の産土神となる、とある。 宝神新田は明治9年(明治11年とも)に宝来新田、神宮寺新田、山藤新田、元美新田が合併してできたものなので、これは宝来新田の間違いだ。 その宝来新田が開発されたのが1822年なので、新田が完成した同じ年に創建されたということになる。 宝来新田は熱田社大宮司の千秋家が開発したとされる干拓新田で、実際は名義を貸しただけで開発に当たったのは戸田村の山田弾六といわれている。山田弾六は、隣の山藤新田と元美新田の開発にも携わっている。 名前だけでも熱田の大宮司である千秋家が関わっているから神社は熱田社系であったことは必然だ。そのとき熱田社ではなく八劔社とした理由もちょっと分からない。 ただ、どういうわけか、江戸時代の名古屋では本社の熱田社よりも別宮の八劔社から勧請して神社を建てたが多い。南西部は特にその傾向が強い。
『愛知県神社名鑑』はこの神社についてこう書いている。 「創建は文政五壬午年(1822)3月と伝える。明治5年、村社に列格する。昭和34年9月伊勢湾台風により社殿被災したが氏子の熱意により復旧した。昭和59年2月26日、宝神土地区画整理組合より土地109坪(宝神5丁目308番地)建物延106坪、宅地35坪(宝神2丁目)を寄進された」 神社の由緒書きでは村社に列格したのは明治12年としている。 村社に列格した年が何年だったかなどは大して重要ではないにしても、『愛知縣神社名鑑』の内容と神社の由緒が違っていることは少なくない。
境内社の水分社(みくまりしゃ)は名古屋では珍しい。ほとんどないんじゃないかと思う。 近畿方面に多い古社で、『延喜式』神名帳(927年)には大和国の葛木水分神社、吉野水分神社、宇太水分神社、都祁水分神社が、河内国の建水分神社、摂津国住吉郡の天水分豊浦命神社が載っている。 いずれも雨乞いや止雨などのために建てられた神社だと考えられる。 ここ宝来新田の熱田社(八劔社)の場合も、雨が降らなかった年に雨乞いのために祀られたのかもしれない。
庄内川左岸の堤防下にあり、海抜0メートルということで堤防が決壊すると大変なことになる。伊勢湾台風のときはかなり被害を受けたのではないかと思う。 今昔マップで明治中頃(1888-1898年)を見ると、神社は集落の北の外れに位置していて、庄内川堤防と南北の道に沿って家が並んでいたのが分かる。 明治、大正、昭和、戦後まであまり状況は変わらず、国道23号線が整備されて庄内新川橋が架かり、1970年代になると田んぼは消えて住宅地になった。
松や他の木々が作り出す木漏れ日模様が美しくて心地いい。やはり神社というのは長い参道がなくてはいけないとあらためて思う。ここの導入部分で気分が盛り上がる。鳥居をくぐってすぐに拝殿では味気ない。 そういう意味でここはなかなかいい神社だと思った。境内全体が木陰にはなっているけど変な暗さや濁りといったものがない。非常に清々しい。 始まりがどうであれ、神社を構成する要素はいろいろあって、偶然もあるのだけど、結果的にいい神社になったりそうじゃなかったりする。祭神の力なのか、地理的な環境なのか、守ってきた人たちの徳によるものなのか、そのへんはよくは分からないのだけど、目に見えない積み重ねといったものが現在の神社を形作っていることは間違いない。 この熱田社は、すごくいいからぜひ行ってみてと人に勧めたくなるとまではいえないのだけど、境内で参拝者や関係者に出会ったら、ここいい神社ですねと声をかけたくなるような神社だ。
作成日 2018.7.13(最終更新日 2019.7.23)
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