實行教(じっこうきょう)の神社で、実行教惟神名古屋教会(じっこうきょうかみながらなごやきょうかい)でもある。 参神社の名称は、天御中主神(アメノミナカヌシ)、高皇産霊神(タカミムスビ)、神皇産霊神(カミムスビ)の造化三神(ぞうかさんしん)を天祖参神(てんそさんじん)として祀っていることから来ている。
實行教は富士講のひとつ、不二道の流れを汲む教派神道の一派で、起源は江戸時代後期までさかのぼる。 實行教が祖としている長谷川角行(はせがわかくぎょう)は室町時代後期の1541年に長崎で生まれた人で、戦国時代に諸国巡礼の旅に出て、奥州平泉で修業中に役行者が現れて富士へ行けと告げられる。 そこで長谷川角行は富士の人穴(ひとあな)にこもって千日修業を行った。更に琵琶湖で水行百日百夜修業などを行い、人穴に戻ったときに本能寺の変(1582年)が起こり、逃げる途中の家康をかくまうことになる。 その後も厳しい修業を続けた長谷川角行は106歳まで生きた(1646年)。富士山にも128回登っている。 不二道(不二孝)を作った小谷三志(こだにさんし)は長谷川角行から数えて八代目の弟子に当たる。 1766年に武蔵国鳩ヶ谷(埼玉県川口市)に生まれ、子供たちに手習いを教えたり宿場の年寄などを務めながら丸鳩講の先達となる。 自身も修業を続け、諸国を巡りながら教えを広め、1838年に不二道を興した。 不二道の第十世の柴田花守(咲行)が1878年に實行社を組織し、1882年に教派神道の一派となる實行教として独立した。
教義はこうだ。 「万物の根源と信仰する天祖参神及びその分魂鎮座の霊獄である富士山を崇信し、神人合一の霊境を体認して死生を申明し誠心をもって實の行に励み、宝祚の無窮と万人の福祉を祈請するにある。開祖の垂示に基づいて一切の恩に報謝し、實の行を修め、惟神の大道を宣揚することを本旨とし立教の原点とする。 あまつみおやもとのちちはは様に孝行すること。毎日神拝御恩禮詞を奏上し心身を清め祖先追慕の念を強めること。日ごろは親孝行」
要するに道徳を実践しましょうという単純といえば単純なものだ。富士講から発しているので世界の中心を富士山としている。 本部は埼玉県さいたま市にあり、神社数4、教会数55、布教所数49、教師数322、信者数1万8430と平成26年版の『宗教年鑑』に載っている。 実行教惟神名古屋教会や参神社はそのうちのひとつということになる。 ちなみに、扶桑教(web)も長谷川角行も祖とする富士講から分かれてできたもので、實行教と扶桑教は教義なども似ている。
新興宗教の施設なのではないかなどと恐れず、普通に入っていって参拝して大丈夫なところだ。 各種祈祷やお祓い、出張地鎮祭なども行っている。 實行教の教義、歴史、祝詞などを詳しく知りたい方は、「国立国会図書館デジタルコレクション」の中の以下のページを見ていただくといいと思う。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815617/36?tocOpened=1
作成日 2018.9.4(最終更新日 2019.3.14)
|