神明社(小本)

本郷村にあった中心的な神明社

小本神明社

読み方 しんめい-しゃ(こもと)
所在地 名古屋市中川区小本1-11-6 地図
創建年 不明
社格等 村社・十四等級
祭神

天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)

 アクセス

・あおなみ線「小本駅」から徒歩約4分
・駐車場 なし

webサイト  
オススメ度

 なかなか立派な面構えだ。街中の神明社でここまで堂々としているところは少ない。
 かつては茅葺きの大屋根に覆われていたというから、そのときの姿を今に引き継いでいるのだろう。
『愛知縣神社名鑑』はこう書く。
「境内は『神鳳抄』に記るす。伊勢神宮の一柳の庄の本貫の地である」
 これだけではちょっと分かりづらいから説明がいる。
神鳳鈔(じんぽうしょう)』は、伊勢の神宮の領地の一覧表で、鎌倉時代初期の1193年から始めて、室町時代前期の1360年に完成したといわれている。
「一柳の庄の本貫の地」というのは、伊勢の神宮の荘園である一楊御厨(いちやなぎのみくりや)がこの地にあって、一楊庄(ひとつやなぎしょう)と呼ばれ、村名でいうと本郷村で、それは一柳庄の本貫地を意味するということだ。
 津田正生『尾張国地名考』の本郷村の項を読むとなるほどそういうことかと納得する。
「本郷の稱(称)は主村の謂也 近世に至りて支村おのおの独立して一ヶ村と成たるあとに只一村残りたるを本郷という也 此村一柳庄神戸郷(かんべ)の本郷にや」
 伊勢の神宮の荘園だったところが、それぞれ村として独立して、最後に残ったところが本郷村になったということだ。
 つまり、伊勢の神宮の荘園の一楊御厨の中心地に伊勢の神宮から勧請して建てた神明社で、創建年は平安時代、もしくは鎌倉時代ということになる。

 古い順から史料を見てみるとこうなっている。

『寛文村々覚書』(1655-1658年)
「神明壱社 中郷村 祢宜 孫大夫持分 社内七畝廿三歩 前々除」

『尾張徇行記』(1822年)
「神明社界内七畝廿三歩前々除 府志ニモアリ」

『尾張志』(1844年)
「神明社 本郷むらにあり 末社に浅間ノ社 白山ノ社 天王ノ社 宮司ノ社あり」

 本郷村の神明社ということですべて共通している。由緒ある神社ということで、前々除(年貢免除地)とされている。

 本郷村は、明治11年に小塚村、七女子村と合併して小本村になり、明治22年には小本村、四女子村、長良村、篠原村が合併して松葉村に、明治39年に松葉村、岩塚村、柳森村が合併して常盤村になっている。
 現在あるのが小本一丁目ということで、他と区別するため小本神明社と呼ばれることもあるのだろう。
 最初からここにあったわけではなく、昭和52年(1977年)に境内地が国鉄の用地となったことで現在地に遷座したとのことだ。
 そのとき、神社のすぐ南にあった秋葉社も一緒に移されて、神明社の境内社となっている。
 秋葉社があったのが薬師寺(地図)の西だったという。
 これらの情報から考えると、現住所でいうと小本3丁目のJR東海バス名古屋支社(地図)の敷地になっているところがもともとあった場所ということになるだろうか。その上の高架をあおなみ線が走っている。

『愛知縣神社名鑑』で少し気になる記述がある。
「この地には珍しく本殿の覆殿あり」という部分だ。
 覆殿(おおいでん)というのは風雨を避けるために本殿を覆った建物をいうのだけど、そんなものはあっただろうか。
 拝殿からぐるりと高い塀で囲まれていて本殿は屋根の部分しか見えないのだけど、本殿が覆われているようには見えなかった。本殿屋根と思っているのが実は覆殿で、本殿そのものはその中に収まっているのだろうか。
 覆殿っぽい建物は中川区の神社でちょくちょく見かけるので、特に珍しいとは思わない。私が覆殿と思っているものは正式なものではなく、この小本神明社のように本殿に見えている建物が本当の覆殿なのかもしれない。
 以前の茅葺きの大屋根というのを見てみたかった。昭和52年に移されるまではそうだったのだろうか。

ブログ記事(現身日和【うつせみびより】)

かつての本郷村にあった立派な小本神明社

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